2010年07月29日
景観を読み解く031

明代橋から西方面を望む

明代橋から東方面を望む

視点場(明代橋上)
岡崎の中心市街地を東西に貫流する「乙川」。
丘陵地を浸食した河岸段丘の地形により、河川敷においては窪地というか盆地のような印象を持つほど、乙川は実は深い。一方で河川空間の幅は、分断というよりも、むしろ包まれ感や一体感のある印象を受け、開放的でスケール感のバランスが良い河川空間を構成しています。
東岡崎駅からまっすぐ北に歩いてすぐの「明代橋」やその上流にある「吹矢橋」、下流にある「殿橋」。これらの橋からの眺めは、川の流れを間近に見ることができ、それらを近景に遠くの山々を背景に、蛇行する河川線形と市街地とが、程よい見え方で一体となった景観を望めます。川が深いためか、橋の上では、高台にある展望台のごとく、開放感があって、安心感があって、市街地のなかにあって、身近に自然を感じる、そして「岡崎らしさ」を感じる空間となっています。
市街地のなかにあって、よほど高いビル等からまちを見下ろさなければ、まちのイメージの把握はできないことが多いですが、はじめて「岡崎」に訪れた人が、東岡崎駅を降りて北にしばらく歩き、明代橋から見たまちの景色は、「岡崎」というまちを印象づけるのにとても重要なものといえるでしょう。
他都市でも市街地を河川が貫流しているところはたくさんあります。
訪れた際に、橋の上で「乙川」との印象の違いを体感すると、よりいっそう「乙川」の河川空間の程よさが実感できると思います。
撮 影 日 平成22年6月
撮 影 場 所 明大寺町(明代橋)/地図
投 稿 者 キノシタ
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2010年07月28日
歴史に「根ざした」景観!

道路の幅をみると、一部、幅が狭いのに気づきます。
そこには、歴史を重ねた「松」がありました。
歴史に根ざした景観です。
撮 影 日 平成22年5月
撮 影 場 所 祐金町/地図
投 稿 者 キノシタ
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2010年07月27日
往年のレオ号



下水道工事でアスファルト舗装がなくなった旧東海道
昭和10年から新箱根を走っていた、愛電自動車(現名鉄)レオ号と重ね合わせました。貴賓車と称するレオ号は当時日本でもっとも豪華といわれたバスです。
撮 影 日 平成22年7月25日
撮 影 場 所 本宿町字北中町/地図
投 稿 者 冨田武司
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2010年07月26日
景観を読み解く030

景観配慮ということで、よくデザイン的なパターンで舗装される「歩道舗装」。
いつもは歩いているとなかなか気づかないものですが、車道舗装のアスファルト色や周辺建物などの色彩との関係に着目してみると、これらがうまく調和してつながっているもの、つながっていないような印象を受けるものなど様々なパターンがあることに気づきます。
上記写真は、市役所周辺です。
歩道の奥は石板舗装、手前は擬石平板舗装ですが、
車道のアスファルトや周辺建物との関係を気にしてみると、モノトーンを基調に調和していて、うまくつながっている印象を受けます。
撮 影 日 平成22年7月
撮 影 場 所 十王町/地図
投 稿 者 キノシタ
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2010年07月25日
長誉館


その外観は、地域の景観の顔となっています。
【長誉館おかざき塾リーフレット抜粋】
岡崎は、徳川家康公と三河武士たちのふるさとです。
ここは、戦国、乱世から平和に向かった源流の地。
松平竹千代は松平元康となってこのふるさとに帰り、「徳川」となり「家康」を名乗り、
ここから平和悲願に向かって自立の道を歩き始めました。
そして265年に及ぶ太平、江戸社会の礎を築いてゆきました。
共に歩いた三河武士たちは、全国各地に日本のふるさとを創りました。
ここは、日本のふるさとのふるさと、そして自立の「道」を見つける心のふるさとです。
21世紀が明けるとき、古い酒蔵を改装して長誉館が生まれました。
酒を醸してきたように、ふるさととそれぞれの道を醸したいと願い、
多様な志が集い、学び合いの場が生まれました。
志交流、各種勉強会のほかに、講演会、交流会、展示発表の場となり、
それぞれの主宰が生き、みんなでふるさとを醸してゆきます。
撮 影 日 平成22年5月
撮 影 場 所 中町/地図
投 稿 者 キノシタ
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2010年07月24日
宝福寺


創建は1593年と伝えられ、三河七福神(福禄寿(ふくろくじゅ))の寺として有名です。1601年に家康が二石の寺領を贈ったという記録が残っています。境内入口には、苔むした無縁仏がぎっしりと並び、時の流れを静かに見守っているかのようです。
曹洞宗寺院。白雲山と号す。元寺は投町にあった天台宗芳延寺といわれる。天正19年(1591)岡崎藩主の田中吉政により、没却され、現在地に再興する。(岡崎市史)
撮 影 日 平成22年7月
撮 影 場 所 梅園町字白雲/地図
投 稿 者 キノシタ
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2010年07月23日
誓願寺と諏訪神社



1566年、徳川家康の官位勅許(ちょっきょ)の仲立ちをした泰翁(たいおう)のために、労をねぎらって建てたのが誓願寺です。境内には、幼いころ虎童子(とらどうじ)と言われていた家康が、弓の稽古をした際、腰をおろして休んだとされる虎石があります。
諏訪神社は、1523年、岡崎城主 松平信貞が、諏訪大明神を勧請したと伝えられています。境内には、岡崎で最も古いとされる石燈籠があります。
浄土宗西山深草派の寺。諏訪山と号す。永禄9年(1566)の家康公の松平から徳川への「復姓」と三河守補任に功績のあった泰翁慶岳のために家康公が建立。近世前期の岡崎の有力町人が多く檀家となり、国分伯機・九一・東陽の三代の墓などがある。昭和20年(1945)7月の空襲により焼失し、寺観は大きく変容した。(岡崎市史)
撮 影 日 平成22年7月
撮 影 場 所 梅園町字虎石/地図
投 稿 者 キノシタ
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2010年07月22日
はじめての「夏」

暑い毎日が続きます。
田中吉政公の背中越しの写真は清清しいですが、
「猛暑」!!
吉政公石像にとっては、はじめての「夏」です。
撮 影 日 平成22年7月
撮 影 場 所 籠田町/地図
投 稿 者 キノシタ
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2010年07月21日
随念寺の三重塔



徳川家康公が創建した、楼門と白土壁が美しい浄土宗の随念寺で高さ16.7メートルの三重塔の建立が進んでいます。
市街地からもその姿を望めます。「忍耐」、「希望」、「夢」の3つの願いを塔に込めているそうです。
仏現山、善徳院と号す。家康公が祖父清康、従祖母で清康姉妹の於久の菩提のため、永禄5年(1562)に創建。院号は清康法名にちなむ。於久は天文13年に母於大と生別した家康公を養育し、家康公の唯一の血縁者として家康公復帰までの松平氏惣領職を代行した。寺号はこの於久の法名随念院によっている。本堂裏手に清康・於久の墓所がある。岡崎藩水野・本多家藩士や近世前期の有力町人の墓が多い。明治6年(1873)から同32年まで岡崎小学校があった。(岡崎市史抜粋)
撮 影 日 平成22年7月
撮 影 場 所 門前町/地図
投 稿 者 キノシタ
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2010年07月20日
上地八幡宮


重要文化財 建造物 八幡宮本殿1棟
(大正15年4月19日指定)
当社は、建久元年(1190)源範頼の創立と伝えられている。兄の源頼朝の命を受け、平家追討の途中、上地の豪族の家に休息し、庭に祭ってある八幡社に武運長久と戦勝を祈願した。源氏の勝利の後、三河守護となった範頼は、感謝を込めて社殿を造営したといわれる。社殿では永禄の三河一向一揆(1563〜64)の兵火をまぬがれたというが、焼失後再建されたとみるべきであろう。その後、明暦元年(1655)、元禄13年(1700)、宝暦6年(1756)、近年では大正7年(1918)とたびたび修理がなされている。
三間社流造(さんげんしゃながれづくり)、桧皮葺(ひわだぶき)。細部は繊細で、海老虹梁(えびこうりょう)、破風(はふ)のかぶら懸魚(げぎょ)、向拝頭貫(こうはいかしらぬき)の木鼻(きばな)などに絵様彫刻を用いて、つつましい装飾を見せている。建築様式の面からみて、当社の本殿は市内最古の神社建築である。
境内には、雨の降りそうな夜になるとうなり出すという「うなり石」がある。
【現地案内板】
撮 影 日 平成22年3月
撮 影 場 所 上地町/地図
投 稿 者 キノシタ
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2010年07月19日
大宮様の参道




この参道は遥かに遠い遠い昔より上地大宮様への参詣道として、善男善女の通りし道にて両側には樹齢幾百年を経た老松古木20余本が林立し昼尚暗く、そんな様相が昭和の初めまで延々として続いてきました。然るに、中には樹齢(数百年)に達し自然枯木した老松もありましたが、去る昭和34年9月の伊勢湾台風の襲禍にて甚大なる損傷に遭い僅かに残存せし古木もマツクイムシの害にて、今や往時の面影すら偲に至りません。この参道は当地主要街道たる吉良道に通じる由緒も深い道で行末永く保存したいものであります。
【現地案内板】
現在はJR東海道線が参道をまたぎ、踏切をわたって八幡宮に至るという、参道と鉄道が交差する地域の歴史的景観であります。(航空写真)
撮 影 日 平成22年2月
撮 影 場 所 上地町/地図
投 稿 者 キノシタ
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2010年07月18日
梅雨明け「夏」本番


梅雨明け、「夏」本番。
青い空に緑の木々がまぶしく、
周りに生き物があふれる季節です。
撮 影 日 平成22年7月
撮 影 場 所 緑丘3丁目/地図
投 稿 者 キノシタ
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2010年07月17日
源空寺

三河最初の法然上人御奮跡霊場
浄土宗 吉水山法然院 源空寺
当寺は66代一条天皇(987〜1011年)の寛弘元年(971)念佛通の大先達「往生要集」を著した恵心僧都(えしんそうず)が、天照大神の霊告を蒙りここに庵を結び草創される即ち伊勢大神宮御霊宝石を祭り鎮守となし堂宇を建立開基せらる。
その後80代高倉天皇(1169〜1180年)の承安5年(1175)宗祖圓光大師(法然上人)43才の時遠州桜ケ池へ御来際、当山へ御寄宿在して宗法弘通(ぐずう/仏教や教典が広まること)の後、御帰路の節大師自ら御等身の尊像を刻み此れを以って生身の吾れと思えとて遺し給う。
この縁を以って当山は専修念佛三河念佛根元の道場霊地にして宗祖圓光大師(法然上人)の御奮跡なり。
恵心僧都の御奮跡として、松を植え、碑を建て、「源空寺の太神松」として人々に親しまれ、戦火により焼失した後は、「恵心植え」という石碑が残る。
【現地案内板等による】
撮 影 日 平成22年6月
撮 影 場 所 東能見町/地図
投 稿 者 キノシタ
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2010年07月16日
稲前神社


【現地案内説明板】
その昔、岡崎は伊勢神宮の神領であったとされ、稲前神社には、神宮に奉納する稲を入れる倉があったといわれます。このことから推測すると、岡崎で最も古い神社ということになります。
記録によると、もと岡崎城の地にあり、総持寺(そうじじ)を再興するに際し、材木町に移され、更に、岡崎城城郭の拡張に伴い、現在の場所に移されたといいます。
【岡崎市史抜粋】
訓みについては、「いなくま」「いなさき」 の二つがある。鎌倉時代末期頃成立の「滝山寺縁起」に「稲熊ノ三ツ石」を平安時代後期に寺領の境界としたとあり、「三ツ石」は甲山にある。
撮 影 日 平成22年5月
撮 影 場 所 稲熊町/地図
投 稿 者 キノシタ
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2010年07月15日
景観を読み解く029


伝馬の備前屋社屋は、東海道の宿場町であった岡崎宿という地域性を、建築意匠の随所にデザインとして積極的に表現しています。壁面は、町家の格子デザインを基調とし、がらりのように、見る角度によっては、実際の建築物への視線を遮蔽する役割を果たすシンプルなもの。そして、赤い三角のある窓がアクセントになっています。
この窓は、火災などの非常時に、消防隊の進入口である「非常用進入口」となるもので、格子でふさぐわけにはいきません。
格子デザインの連続性とこの開口部。
ここに「デザインの可能性」をみることができます。
良く見ると、この開口部。
気にして見なければ気づきませんが、実は、形が備前屋の代表名菓、あわ雪の印となっています。
こうした洒落っ気、粋な遊び心。
それでいて主張しすぎず、気づく人にだけわかってもらえれば良い・・・
そんなところに設計者等の建築デザインのセンスを感じます。
撮 影 日 平成22年5月
撮 影 場 所 伝馬通2丁目/地図
投 稿 者 キノシタ
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2010年07月14日
青木川草刈清掃活動





4~5年間から、東阿知和町では、地域のまちづくり活動の一環として、
住民の皆さんが年2回、青木川(河津桜周辺)の草刈清掃の活動をしています。
こうした身近な取組みから、みんなで楽しみながら、まもり、そだて、つくっていくこと。
まさに「景観まちづくり」の現場です。
撮 影 日 平成22年6月27日
撮 影 場 所 東阿知和町/地図
投 稿 者 アマノ(東阿知和町)
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2010年07月13日
本宿陣屋跡と代官屋敷(現冨田病院)

元禄11年(1698)旗本 柴田出雲守勝門(かつかど)(柴田勝家子孫)が知行所支配のため、本宿村に陣屋を設けた。以来明治に至るまで存続した。陣屋代官職は冨田家が世襲し、現存の居宅は文政10年(1827)の建築である。
【郷土史本宿研究会】
撮 影 日 平成22年3月
撮 影 場 所 本宿町/地図
投 稿 者 キノシタ
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2010年07月12日
歴史を感じる屋外広告物




まちには、とても目立つもの、センスの良いものなど、いろいろな看板、屋外広告物がたくさんあります。
「伝馬通」、昔は「東海道」であった道沿いに老舗の「永田屋精肉店」があり、東隣の「糸惣」同様、店構えもさることながら、歴史をつなぐ景観として、看板がとても重要な要素となっています。
通りを車で運転していると気づきませんが、歩いて、間近に見てみると、往時を偲ぶその歴史を感じさせるデザインや木という素材の風合いに、風格さえも備えている印象を受けます。
撮 影 日 平成22年6月
撮 影 場 所 伝馬通2丁目/地図
投 稿 者 キノシタ
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2010年07月11日
甲山(かぶとやま)の森

縄文遺跡や古墳群があることから、古くから開けた地であることがわかります。岡崎城の鬼門を守る甲山(こうざん)寺と甲山(かぶとやま)八幡宮、岡崎永楽で有名な甲山焼窯跡(こうざんやきかまあと)など、見どころは豊富です。市街地に隣接した野鳥の飛び交う森として、貴重な場所になっています。(下記撮影場所をクリックして、航空写真を選択すると緑の丘陵地であることが分かります。)
撮 影 日 平成22年6月
撮 影 場 所 六供町/地図
投 稿 者 キノシタ
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2010年07月10日
坂の街・岡崎-法丈坂(ほうじょうざか)


岡崎の あんな坂 こんな坂
岡崎丘陵の上に発達してきた岡崎。起伏があって、丘と坂の多い街ともいわれます。「岡崎の街をより親しみのあるものにしよう」と、昭和58年、坂道の名前を公募しました。その中から、10箇所の坂道を訪ねてみました。いつも何気なく通っている坂道を、一度、たっぷり時間をとって、その景観や名前の由来などに想いをめぐらし、散策してみてはいかがでしょうか。
【名前の由来】
昔、この坂を上って、竜海院の法丈様(住職)の説教を聞きに行ったという。
撮 影 日 平成22年6月
撮 影 場 所 明大寺町/地図
投 稿 者 都市計画課
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