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2010年12月14日

総持尼寺




往時の寺勢力を偲びながら、中町の高台から望む夕暮れの市街地の眺望景観。

【現地案内文】
総持寺は建保2年(1214)本間三郎重光が順徳天皇の皇女を開山として創建し、高師重女の尼心妙が再興したというが疑問。古文書の語るところによると、観応の擾乱で族滅した高氏一族の菩提を弔うため、高師泰の娘で高師冬の妻であった尼明阿が姪を住持として当寺を建立し、寺領として菅生郷を寄進した。以後、当寺は明治8年まで尼寺であったので総持尼寺とも呼ばれる。寺はもと籠田惣門南の総構え内側(すなわち菅生郷築山の地)にあったが、昭和2年に現在地に移転した。

【新編岡崎市史より抜粋】
 曹洞宗寺院。もと籠田総門南の総構え内側に所在。古くは天台宗という。創建時より明治8年(1875)まで尼寺で、そのため総持尼寺の名で一般的に呼ばれる。寺領は島町・八軒町・六供杉本村に分散していた。寛文10年(1670)4月焼失、安政元年(1854)11月地震で破壊。中世の歴代が皇室・将軍家出身の女性であったとするのは疑わしい。戦国末期の13世理薫尼は作手城主奥平貞能の娘。14世芳薫尼は徳川家康の落胤(実は内藤家長の娘)であるという。江戸後期は正親町三条・柳原家の公家女子が入寺した。宮中を悩ます野狐を退治した本間重行(一説に重光)によって、建保2年(1214)順徳天皇の皇女利慶徳大比丘尼を開基として創建という伝承が江戸時代総持寺目代であった本間蔵人家あたりによって創作された。寺内の稲荷社(築山稲荷)は本間重行が退治した狐の霊を祀るといい、もと岡崎12社のひとつであった。江戸時代は竜海院末であったが明和3年(1766)に離檀した。大正5年(1926)寺地の南半分が市役所となり、同15年に残る敷地が岡崎郵便局となることに決まり、昭和2年(1927)中町の現在地に移転した。永仁より文安にいたる中世文書19点は市指定文化財。

撮  影  日  平成22年12月
撮 影 場 所  中町/地図
投  稿  者   キノシタ

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Posted by 岡崎市まちづくりデザイン課 at 08:30│Comments(0)歴史の風景
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