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2010年12月19日

浄瑠璃寺



中世の岡崎に、ひとつの物語が生まれました。
「源義経と浄瑠璃姫の悲恋の物語」
広く語り継がれ、語りもの全体は「浄瑠璃」と言われるようになりました。
江戸時代には伝統芸能「人形浄瑠璃」へと進化しました。

浄瑠璃寺は、中心市街地のビル群の谷間にありますが、もとは岡崎城の浄瑠璃曲輪(くるわ)付近にありました。義経と浄瑠璃姫の画像が残されています。
その他の浄瑠璃姫に関する記事

【岡崎市観光協会】浄瑠璃姫の物語

【岡崎市史】
 矢作の長者の娘浄瑠璃と源義経の悲恋物語として15世紀半ばに京都で成立したとみられる語り物「浄瑠璃御前物語」は、16世紀には全国に広まった。それは薬師如来の申し子浄瑠璃御前の恋の苦難と成仏を描く本地譚、薬師の霊験を高唱する利生譚が、義経と結合して判官物の一種となったもので、その下敷きには東海道筋に多く残る遊女と貴公子の悲恋物語があったとみられている。この語り物の盛行によって、悲恋物語を史実とみて多様な付加が行なわれ、その遺跡や遺物と称するものが多数出現した。寺院・仏像・絵画・工芸品・墓石・洞穴・岩石・樹木など多様であるが、その初見は『宗長手記』大永7年(1527)条にみえる明大寺の浄瑠璃御前の跡の松である。中世のものはこれだけであるが、17世紀になると今日伝えられる浄瑠璃淵、成就院、千本、十五夜、光明院(浄瑠璃寺)、浄瑠璃郭、冷泉塚、誓願寺(矢作)、安心院本尊、浄瑠璃塚、松葉橋、麝香塚などがほぼ出揃ってくる。墓というものも岡崎公園、成就院、矢作誓願寺の3か所がある。これらは寺院の縁起と結合し、その真実性を保証する役割を負わされた。たとえば成就院の場合、浄瑠璃姫は寿永2年(1183)3月12日に乙川に入水自殺したという近世に地元で成立した話をふまえて、その600回忌にあたる安永10年(1781)3月の追善供養の引札を白井秀超(菅江真澄)に執筆させ、同じ頃に姫にちなんだ穴観音なるものを盛んに宣伝している。かくて近代の著作物にいたるまで浄瑠璃実在説が語られることとなった。

撮  影  日  平成22年12月
撮 影 場 所  康生通西/地図
投  稿  者   キノシタ

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Posted by 岡崎市まちづくりデザイン課 at 08:30│Comments(0)歴史の風景
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