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2011年12月13日

徳川家譜代・本多氏ゆかりの地

前回の徳川四天王・酒井忠次に引き続き、今回は本多平八郎忠勝のゆかりの地を紹介します。本多忠勝は徳川家臣の中で最も武勇に優れた武将で、生涯50余の合戦に有名な「蜻蛉切(トンボキリ)」の長槍を持って大いに活躍し、傷ひとつ負わなかったと言われてます。


徳川家康より6歳年下の忠勝が生まれたのは、天文17年(1548)現在の西蔵前町で、青木川が矢作川に合流する付近です。最初の写真は青木川の右岸(北側)に連なる西蔵前町の今の風景です。


この住居群の中に、本多忠勝誕生地の碑が建てられてます。石碑は民家の庭先にあり、現在お住いの方にご挨拶して撮影しました。


忠勝は家康の関東入府に伴い上総大多喜(千葉県)10万石の大名となり、その後桑名(三重県)に転封し、慶長15年(1610)その地で63歳の生涯を閉じました。その子孫は、幕命により国替えを繰返し、明和6年(1769)に岡崎藩主となり、その後明治になるまで岡崎の地を治めました。岡崎公園に、床几に腰掛け「蜻蛉切」を携えた忠勝の像があります。その堂々とした姿は戦国武将の雄姿を彷彿させます。


同じく公園内の岡崎城の隣にある龍城(タツキ)神社は、祭神として家康と忠勝を合祀する神社で、今も多くの人々に親しまれてます。

撮影日  平成23年12月7日
撮影場所 西蔵前町、岡崎公園
投稿者  岡崎エクスプローラー

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Posted by 岡崎市まちづくりデザイン課 at 08:30│Comments(0)歴史の風景
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