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2013年01月26日

井ノ口砦の戦い

家康学習資料集〜岡崎の心を学ぶ〜
岡崎市立大樹寺小学校教材開発部「家康・地域を生かした教材開発」のために より抜粋(一部加筆)



井ノ口砦とは、井ノ口町字楼にあった中世の砦で、現在の井ノ口稲荷社のところにありました。今も井ノ口稲荷の神社境内へ行くと、北に張り出す台地の先端になっており、砦を築くにはよい立地条件であることがよく分かります。中世、矢作川を渡るには「上の瀬」「中の瀬」「下の瀬」という3カ所の渡河地点がありました。北野と大門を結ぶのが「上の瀬」、矢作と八帖を結ぶのが「中の瀬」、渡と六名を結ぶのが「下の瀬」と呼ばれており、交通の要所でした。当時の矢作川は現在のように堤防がなく、流路も一本化されず雨が降るたびに網の目状に乱流していました。そのような矢作川を渡るのに比較的に安定していたのがこの3カ所の渡河地点で、北野には古代寺院跡として北野廃寺の遺跡があります。この大門の「上の瀬」から東方約2キロの地点に井ノ口砦がありましたので東西交通を押さえる要地にあったということです。

寛正6年(1465)5月、額田郡で幕府や守護に反抗する蜂起事件が起こりました。蜂起したのは、丸山・大場・梁田といった牢人で、足利氏あるいは高氏に仕え額田郡南部の領地を所有した者たちですが、戦国動乱の中で一揆を起こし、井ノ口に砦を構えて立て籠りました。「上の瀬」と呼ばれた北野ー大門の渡河地点で矢作川を渡った街道は、本校学区を通過して行きます。京から鎌倉へ、または鎌倉から京へと多くの荷物が運ばれたことでしょう。その中には朝廷や室町幕府からの大切な荷物もありました。京と関東を結ぶ大切な交通路を遮断し、京都運送の荷物を押さえる絶好の場所に井ノ口砦があったのです。

井ノ口砦に立て籠もる牢人一揆に対する鎮圧が開始されました。その責任者は三河守護細川成之。室町幕府管領畠山政長からは、三河国内の諸勢力に対して守護への協力と一揆への加担禁止が命令され、一揆掃討作戦が進められました。鎮圧軍数百人が押し寄せて、三日三晩にわたって攻撃、ついに井ノ口砦は陥落し一揆勢は解体・逃亡しました。この時、室町幕府政所執事伊勢氏の被官であった松平信光が一揆討伐に協力し三河での勢力を強めました。一揆を起こした牢人たちの領地であった額田郡南部へと松平氏の領地が広がっていくことになるのです。

投稿者  大樹寺小学校・都市計画課

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Posted by 岡崎市まちづくりデザイン課 at 08:30│Comments(0)歴史の風景
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