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2013年02月03日

徳川将軍家の菩提寺①ー増上寺と寛永寺

家康学習資料集〜岡崎の心を学ぶ〜
岡崎市立大樹寺小学校教材開発部「家康・地域を生かした教材開発」のために より抜粋(一部加筆)

徳川将軍家の菩提寺①ー増上寺と寛永寺
三河における徳川将軍家の菩提寺が大樹寺であることは、大樹寺小学校の職員・児童ならよく知っています。では、江戸での菩提寺と言えば、芝の増上寺と上野の寛永寺です。

江戸幕府の将軍は家康を初代として15人います。その15人のうち最後の将軍慶喜は、江戸幕府滅亡後の大正2年に77歳で亡くなっていますので、将軍として葬られていません。ですから将軍として葬られたのは14人ということになります。この14人の位牌が大樹寺にあります。では、お墓はどこにあるか。初代家康と三代家光のお墓(霊廟)は、日光東照宮にあります。残り12人のお墓(霊廟)が、芝の増上寺と上野の寛永寺であり、それぞれ6人ずつ葬られているのです。

芝の増上寺は東京タワーのすぐ近くにあります。大樹寺と同じ浄土宗です。徳川家は家康学習で学んだように、松平のころから浄土宗です。ですから江戸でも浄土宗の増上寺を菩提寺としたのでしょう。この増上寺には、2代秀忠公・6代家宣公・7代家継公・9代家重公・12代家慶公・14代家茂公の6人の将軍が埋葬されています。ドラマで話題となった秀忠公夫人お江や家茂公夫人である皇女和宮もここに眠っています。この徳川将軍家の霊廟は、御霊屋(おたまや)と呼ばれ、国宝に指定されていたのですが、昭和20年の東京大空襲で焼失してしまいました。

投稿者  大樹寺小学校・都市計画課

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Posted by 岡崎市まちづくりデザイン課 at 08:30│Comments(0)歴史の風景
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