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2013年10月22日

郷土出身者の風景②(本多光太郎博

木村資生(モトオ)博士に続く郷土出身者の風景第二弾は、金属学の第一人者・本多光太郎博士です。博士は1870年市内新堀町(ニイボリチョウ)に生まれ、粘り強い努力を積み重ね1917年に時代の最先端を行くKS磁石鋼を発明した世界的物理学者です。
博士の銅像は市民会館の庭に設置されており、以前に当ブログで紹介しました(2013年3月28日)。
今回はそれ以外の博士ゆかりの風景を紹介します。



東公園に、生家から移築された博士の勉強部屋が資料館として公開されてます。最初の写真は資料館の外観で、二枚目は資料館の裏手にある石碑の風景です。
石碑には「つとめてやむな」と彫られてます。


本多博士は七歳の時、妙源寺の庫裡にあった桑子学校に入学しました。その後身である矢作(ヤハギ)南小学校に博士の胸像があり、台座には「つとめてやむな」の語が記されてます。
この言葉は、学校長の求めに応じて博士が揮ごうしたもので、今では同校の校訓となってます。
博士の像は西を向き、校庭で遊ぶ子供たちを優しく見守ります。


本多博士の胸像が見つめる方向、小学校の西隣に妙源寺があり、そこに本多家の墓があります。1950年に博士の夫人が亡くなったとき、博士の発案で両親や兄弟の墓を新しくすると共に自身と夫人が入る墓を造りました。そして、それぞれがどんな人であったか分かるように短い言葉を書き記すよう提案し、自身の墓の裏面には「鉄鋼の世界的権威者」と刻みました。因みに、新堀町で農業を継いだ長兄の墓には、「明治用水開拓者」と記されました。
なお、妙源寺は鎌倉時代に建立の由緒ある古刹で、奥に見える柳堂は国の重要文化財です。

撮影日 平成25年10月10日、14日
撮影場所 欠町(カケマチ)、大和町(ダイワチョウ)
投稿者 岡崎エクスプローラー

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Posted by 岡崎市まちづくりデザイン課 at 08:30│Comments(0)歴史の風景
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