2009年09月29日
東海道藤川宿問屋場跡
藤川宿の問屋場跡(といやばあと・とんやばあと)
藤川宿の「問屋場」は、ここ字中町北にあった。「問屋場」は、宿場町では、最も中心となった場所で、人馬の継ぎ立て(伝馬(てんま))、書状の逓送(ていそう(飛脚(ひきゃく)))などの業務を行う所が「問屋場」であった。、藤川宿では、ここを「御伝馬所(おてんまじょ)」とも称していた。
この問屋場については、記録によると、
「一、人馬継(じんばつぎ)問屋場 壱ヶ所 字中町
問屋(とんや) 弐人
年寄(としより)五人
帳付(ちょうつけ) 四人
飛脚番(ひきゃくばん) 六人
人馬差(じんばさし) 六人
小使(こづかい) 六人」
とある。
また当初の問屋場は、問屋場役人の屋敷の一部を使用していたようだが、江戸時代中頃に、現在地に専用の建物を設けて、業務に当たったという。明治五年七月、伝馬制廃止後は閉鎖され、その役割は終わった。
【藤川宿まちづくり研究会】
宿場町の中心的な役割を果たした問屋場。
このあたりは街道筋でも一番標高が高いところ。
重要な場所であったことがうかがえますね。
撮 影 日 平成21年9月20日
撮影 場所 藤川町/地図
投 稿 者 キノシタ
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Posted by 岡崎市まちづくりデザイン課 at 08:30│Comments(2)
│歴史の風景
この記事へのコメント
こんばんは、問屋場の29人という陣容を考えますと建物と敷地はそれなりに大きかったんでしょうね。
Posted by シモン at 2009年09月30日 00:36
シモンさん、コメントありがとうございます。
規模の大きな宿場町になると問屋場も複数あったようです。
藤川宿の建物や敷地はどのくらいだったのでしょうね。
中山道の旧醒井宿問屋場は全国でも現存する数少ない資産で、当時の規模などを想像するのも楽しいことですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/米原市醒井宿資料館
規模の大きな宿場町になると問屋場も複数あったようです。
藤川宿の建物や敷地はどのくらいだったのでしょうね。
中山道の旧醒井宿問屋場は全国でも現存する数少ない資産で、当時の規模などを想像するのも楽しいことですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/米原市醒井宿資料館
Posted by キノシタ at 2009年09月30日 22:23