2010年03月19日
一里塚-岡崎宿伝馬歴史プロムナード
「岡崎城下二十七曲り」と呼ばれた岡崎の東海道(岡崎宿)、その一部に「岡崎宿伝馬歴史プロムナード」と呼ばれる区間があります。岡崎は戦災にあい、残念ながら町並みとしての宿場の雰囲気はありませんが、東海道の歴史を伝える石製品達が、その土地の持つ歴史と未来をつないでいます。
【現地案内文】
徳川秀忠は家康の発案により、東海道・中山道・北陸道の三街道に一里(約4キロ)ごとに行程の目印となる、一里塚を設けた。岡崎の一里塚は東より本宿、藤川、大平、矢作にあったが、現在、大平に南側の一里塚が残っていて国指定史蹟となっている。他の一里塚同様、大平の一里塚にも榎が植えられており、この榎は、家康が総監督大久保長安に「塚にはええ木を植えよ」と言った言葉を「えのき」と聞き違えたという話が残っている。参勤交代で大名の通過があると藩の使者が送迎の礼をした場所でもあったとされる。
「一里塚」。本宿〜藤川~大平~矢作の間がそれぞれ約4キロ。一般的には歩行速度は時速4キロと言われており、単純計算でちょうど1時間程度で一里塚があったことになりますね。大きな榎も目印に「あとちょっと」と東海道を行き交ったのでしょうか。岡崎にはとても幸運なことに「大平の一里塚」があり、往時を偲ぶ景観が現代のまちに息づいています。
撮 影 日 平成22年3月
撮 影 場 所 伝馬通2丁目/地図
投 稿 者 キノシタ
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Posted by 岡崎市まちづくりデザイン課 at 08:30│Comments(0)
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