2010年03月17日
矢作橋-岡崎宿伝馬歴史プロムナード
「岡崎城下二十七曲り」と呼ばれた岡崎の東海道(岡崎宿)、その一部に「岡崎宿伝馬歴史プロムナード」と呼ばれる区間があります。岡崎は戦災にあい、残念ながら町並みとしての宿場の雰囲気はありませんが、東海道の歴史を伝える石製品達が、その土地の持つ歴史と未来をつないでいます。
【現地案内文】
矢作橋は公儀普請の重要な橋であり、岡崎宿を行く旅人にとっても、まだ見ぬ岡崎を思い浮かべる人々にとっても街道一の規模を誇るこの橋の勇壮さは関心の高いものであった。広重の東海道五十三次「岡崎」にも描かれ、東海道を行く当時の紀行文や道中日記には必ずといっていいほど矢作橋が登場する。ドイツ人ケンペルは「江戸参府紀行」で、スウェーデン人ウィルマンは「日本旅行記」の中で矢作橋の大きさを記述し、岡崎宿を訪れた朝鮮通信使の日記にも登場するなど外国人にとっても印象深いものであった。
「矢作橋」は幕府の直轄で、江戸と京都、大阪を結ぶ軍事上も非常に重要な橋であった。当時は軍事上の理由から橋をかけないことが多かったが、「矢作橋」は特別であった。江戸時代、「岡崎」といえば「神君家康公の生誕の地 岡崎城」、「町並みの長さでにぎわう岡崎宿」、「街道一の規模を誇る矢作橋」の景観はさぞや勇壮であったことでしょうね。
遠い外国の地まで、「岡崎」の「矢作橋」が名をはせた、と聞くと何やら誇らしげな気分になりますね。
「架替工事中の矢作橋」
撮 影 日 平成22年3月
撮 影 場 所 伝馬通2丁目/地図
投 稿 者 キノシタ
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Posted by 岡崎市まちづくりデザイン課 at 08:30│Comments(0)
│歴史の風景