2010年08月04日
もしかしてすごいパワースポット?
徳川家康8才にて、織田との人質交換にて岡崎へ帰った3日後、ここの亡き父廣忠の墓(分骨)墓中央大きな物へ参ると古文書にあり、コレを見守る幕末の徳川方新撰組隊長、近藤勇
この物語は廣忠墓から始まり新撰組とともに徳川解体で終わる、江戸時代の始めと終わり。この二つが同じところにある、ちょっとおもしろいと思いませんか?
撮 影 日 平成22年8月3日
撮 影 場 所 法蔵寺境内(本宿町)/地図
投 稿 者 ChaRaku
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Posted by 岡崎市まちづくりデザイン課 at 08:30│Comments(2)
│歴史の風景
この記事へのコメント
ChaRakuさん、こんばんは。
法蔵寺、何度も訪れていますが、
言われてみれば!!
新たな気づきで、刺激的でした☆
法蔵寺、何度も訪れていますが、
言われてみれば!!
新たな気づきで、刺激的でした☆
Posted by キノシタ at 2010年08月05日 19:27
「徳川家康8才にて、織田との人質交換にて岡崎へ帰った3日後、ここの亡き父廣忠の墓(分骨)墓中央大きな物へ参ると古文書にあり」とありますが古文書とはどのようなものでしょうか?
法蔵寺には家康8才の時の書と、家康が傷を付けた手習いの机が残されています。
その時の物である可能性が高いのではないでしょうか?
法蔵寺には家康8才の時の書と、家康が傷を付けた手習いの机が残されています。
その時の物である可能性が高いのではないでしょうか?
Posted by 藤田喜章 at 2014年07月06日 09:53