城下町の都市構造
日本独特の歴史文化のひとつが武家文化の象徴でもある「城」。数多くの城がありましたが、江戸時代には一国一城という幕府の統制により、また、軍事的拠点から政治的拠点へとその機能を変えつつも、天守閣をまちの中心として城下町が1600年頃を起源として日本各地に整備されました。
岡崎も、1590年、徳川家康の関東移封のあとに、岡崎城主となった豊臣方の武将、田中吉政によって現代のまちの都市構造の起源となる城下町の都市整備が行われ、吉政の時代に初めて天守閣が築かれたと考えられています。
現代のまちにもその都市構造、城下町の記憶が息づいています。
戦災復興により、近代都市として再興をとげた岡崎ですが、新たな街路にも「歴史都市・岡崎」を感じる道路愛称がつけられています。
「総門通り」。東の籠田総門があった場所へ通ずることから、通り名となっています。
現代の都市空間に、城下町の都市構造を重ねて、まち歩きをすると、いつもの景色も違って見えます。
撮 影 日 平成22年1月
撮 影 場 所 康生通南/
地図
投 稿 者 キノシタ
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