
2019年11月26日
岡崎市の新しいシンボル「徳川家康公像」が完成しました!
この像は駅のホームや電車の窓からも見え、徳川家康公の生誕地である、岡崎市の新たなシンボルの誕生です。
ぜひお近くで、迫力ある若き日の家康公をご覧ください。


2019年11月12日
★11月17日開催 歴史まちづくりシンポジウム~郷土食の八丁味噌造りにみる歴史的な風情を磨く~
令和元年11月17日(日)に歴史まちづくりシンポジウムを開催します。
5度目となる今回は、「郷土食の八丁味噌造りにみる歴史的風致」を取り上げます。
基調講演として
全国産業観光推進協議会会長 須田 寛氏による「産業観光の未来」
愛知産業大学経営学部教授 吉田 修氏による「食文化を活かした公民連携による地域活性化」
をご講演いただきます。
皆さま、ぜひご参加ください!
※参加ご希望の方は、添付チラシ裏面の「申込み方法」によりお申込みください。
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◎シンポジウム概要
八丁味噌は、旧東海道を挟んで立地する2つの老舗が、300年以上続く伝統製法を守り継ぎ、天然醸造の長期熟成により製造している豆味噌で、岡崎人にとって日々の生活に浸透しているかけがえのない味です。
この郷土食の八丁味噌造りが醸し出す歴史的な風情や情緒、たたずまいが、現代の人々の暮らしやコミュニティの形成、愛情と誇りの醸成にどのようにつながっているのか、そして、これらの歴史文化資産をどうやって持続的に継承し、地域活性化や観光振興につなげていくのかについて考えるシンポジウムを開催します。
◎開催日時
11月17日(日) 13時30分~16時15分 (13時開場)
◎場所
岡崎市図書館交流プラザ・りぶらホール (愛知県岡崎市康生通西4丁目71番地)
◎内容
第1部:基調講演①「産業観光の未来」
講師/全国産業観光推進協議会会長 須田 寛氏
第2部:基調講演②「食文化を活かした公民連携による地域活性化」
講師/愛知産業大学経営学部教授 吉田 修氏
第3部:パネルディスカッション「郷土食の八丁味噌造りの歴史文化資産を活かしたまちづくりの新たな展開」
コーディネーター/名古屋市立大学名誉教授 瀬口 哲夫氏
パネリスト/須田 寛氏
吉田 修氏
早川 久右衛門氏 (合資会社八丁味噌代表社員)
浅井 信太郎氏 (株式会社まるや八丁味噌代表取締役)
◎定員
250人(先着)
◎主催
岡崎市 都市整備部まちづくりデザイン課

2019年05月29日
6月2日 岡崎百景の会おでかけツアー「悠紀斉田お田植えまつり」開催のお知らせ
猛暑で外に出るのが億劫になってしまう前に、お祭りを見に行きませんか。
6月2日(日)13:00から、岡崎百景の会 おでかけツアーが開催されます。
今回のおでかけは、百景番号41 悠紀斉田お田植えまつりです。
歴史あるお祭りを、岡崎百景の会の方々と一緒に楽しんではいかがでしょうか。
ツアー参加希望の方は、
岡崎百景の会Facebook(https://www.facebook.com/events/343855093000953/)をご確認ください。
悠紀斉田お田植えまつり案内↓
2019年05月27日
能見神明宮大祭がありました
5月も残すところ一週間となり、春の心地よい陽気がじりじりとした暑さに変わってきましたね。
暑さが苦手な私は、真夏の暑さに耐えられるかどうか、すでに心配し始めているところです。
さて、5月11、12日に、能見神明宮大祭がありました。
菅生神社の菅生まつり、岡崎天満宮の例大祭と共に、岡崎三大まつりの一つといわれる大祭です。
今年も、各町の山車が神明宮に勢ぞろいしました。
お祭りに参加した市民の方から、素敵な写真とコメントを送っていただきましたので、ご紹介します!

「神明宮山車と勇志の太鼓」
コメント : 令和時代の始まりに相応しい勇壮な響きが伝わって来た
力強い太鼓の音が今にも聞こえてきそうな瞬間です。
私もお祭りに行きましたが、世代を問わずたくさんの人で賑わっていましたよ!
多くの人々に「神明さん」と呼ばれ、親しまれてる神明宮。
令和の時代も、その先も、末永く継承していきたいものですね。

あなたの感じた岡崎いいとこ、共有しませんか?
詳しくは、まちづくりデザイン課ホームページへ↓
(https://www.city.okazaki.lg.jp/1100/1184/1169/p006108.html)
投稿人:kmo
2018年08月21日
中学生の歴まち巡り
岡崎市役所まちづくりデザイン課へ職場体験に来ました。
3人とも真っ黒に日焼けして元気一杯です。
今回は、まちづくりデザイン課に配属されて1年目の小職が
大役を任されて岡崎市の歴史まちづくりについて案内をしました。
はじめに行ったのは岡崎城
天守から下を望むと石垣が見えます。

ちらっとですが、青海堀石垣が見えます。
帰りに、特徴的な曲線美を見て、人力で積上げたことに、昔の人の凄さを実感しましたね。
そして、天守に上がったからには市街地の眺望
眺望と聞いてピンとくるのは?ビスタラインということで、大樹寺を探してみました。

肉眼では概ねの位置が分かるくらい・・・
ここで秘密兵器を使いました。
じゃん!!

大樹寺の総門が見えた!!距離はここから約3kmもあるのに見えるんだね、という会話をしつつ、
建物の高さ規制があることを学びましたね。
ちなみに秘密兵器というのは・・・

大樹寺専用望遠鏡、通称「ビスタスコープ」です!
大樹寺探しに困った際は、ぜひ使ってみてください。
帰りの4~2階では、城下町の成立ちパネルが並んでいます。

ここでは、1枚1枚のパネルを読み込んでいましたね。
地形特性を生かしてできた城下町、東海道二十七曲りや歴史的遺構があった城下町など、
自分たちが住んでいるまちの歴史について知ることができました。
8月末まで展示しているので、ぜひ見に来てくださいね。
最後は、城下町の成立ちパネルにも登場したこちらです。

どこかわかりますか??
そうです、岡崎城総構えの東の出入口、籠田町に設けられていた籠田総門があった場所です。
え?こんな所にあったの?という感じで今と昔の違いに驚いていましたね。
また、歩道の舗装の色が違うことにお気づきですか?
ここは、東海道二十七曲りです。
歩道に埋め込まれているこんなものも見つけました。

舗装の色を変えることや路面標示をすることで歴史的な風情を感じ、安全・快適に巡ることができます。
今は部分的だけど、全線が整備されると迷わず、地図も持たずに歩けるからいいなの言葉からプレッシャーを
感じつつ、今後の励みになります!
これから街を歩くときは、岡崎の歴史や城下の成立ちを思い出してみると
まちの見え方も変わってきますよ!!
2018年07月02日
2018年04月10日
岡さんぽ!をしました
今回は「“岡崎百景推薦人”と行く!D51と桜が彩る、岡崎南部の歴史散歩道」に行ってきました!
出発地点は南公園。SL D51の重厚感に惚れ惚れです。
岡さんぽ!では地元の人でも通らないようなローカルな道を歩きます。
ここ通れるの?
小さなトンネルも通りました。
岡さんぽ!ならではのドキドキ体験ができました。
今回のツアーは岡崎百景推薦人の生解説を聞くことができます。
推薦人ならではの面白い話もありました。
「へぇ~」という声が聞こえてきそうですね。
岡崎に住んでいても知らなかったステキなところをたくさん知ることができました!
地元でない人はもちろん、地元の人も含めてみんなが笑顔になれるツアーでした。
今後もまだまだ開催されますので気になった方はぜひ!↓↓
岡さんぽ!HP:http://www.okazakicci.or.jp/okasanpo/
投稿者 kata


2018年03月19日
浄瑠璃姫観月荘跡と記された石碑
浄瑠璃御前物語は、浄瑠璃姫という名の美しい姫と、源義経の間の悲恋の物語です。
岡崎市内のいたるところに浄瑠璃姫にまつわる遺構がありますが、特に十王町にある三河別院の西院は
浄瑠璃姫と義経が月を愛でながら笛の音を楽しみ、一晩を過ごしたといわれる「観月荘跡」と言われています。
そんな西院の裏手には、今でもひっそりと「観月荘」の名が刻まれた石碑と、水面に月を映したとおぼしき
大きな亀型の手水鉢が置かれています。
そんな浄瑠璃姫の物語をはじめ、岡崎市の歴史について考察するブログを書いています。
ぜひこの機会にご覧いただけましたら幸いです。


撮影場所:三河別院西院(岡崎市十王町1-25)
撮影日:2017年3月28日
投稿者:坂本貴和子・渡辺英治
2017年07月04日
2017年07月02日
2016年06月20日
梅雨の晴れ間の岡崎城
梅雨の晴れ間に、新緑の木々に囲まれたお城もまた格別です。

伊賀川のほとりの岡崎城は、いつ見ても素敵ですね。
国道1号に架かる龍城(タツキ)橋からの風景です。

岡崎公園内の日本料理八千代付近からの1枚。お城の北側の風景です。

お城の南側を流れる乙川からの眺めです。左岸堤防道路(城見通り)から撮影しました。
今年乙川の河川敷整備が行われ、設置された柵や水辺に降りるスロープが見えます。
一番手前に見えるのは以前からある潜水橋です。
撮影日 2016年6月18日
撮影場所 岡崎公園、他
投稿者 岡崎エクスプローラー


2016年01月22日
雪化粧の随念寺
一昨日は積雪も。寒いですね。
門前町の随念寺。1562年に家康公が創建した楼門と白壁が見事な美しい寺です。

普段の見慣れた景色も雪化粧するとモノトーンで、
これはこれで「凛」とした雰囲気が好きです。

撮影日 平成28年1月20日
撮影場所 門前町
投稿者 キノシタ


2015年07月03日
徳川家康公の建てた寺・随念寺
一つは父広忠の菩提を弔う松応寺(松本町)。
もう一つは祖父清康の菩提を弔う随念寺(門前町)。

随念寺は、1562年(室町時代)に家康公が創建した楼門と白土塀の美しい寺で、松平七代清康(家康公の祖父)とその妹久子の菩提を弔うために建てられました。



久子は、家康公が生母於大(おだい)と生き別れて以来、家康公を養育した人です。

東海道を見下ろす丘陵に建てられた一連の社寺の中でも、幕府の庇護が厚く、城の防御拠点としての名残を、今もよく残しています。
今でも境内から岡崎城天守を望むことができます。
江戸時代は眼下に岡崎宿・岡崎城下町のまちなみが広がり、岡崎城天守がランドマークとしてその存在を輝かせていたことでしょう。
<岡崎初期教育施設としての随念寺(書院・庫裡)>
・額田郡第一番小学岡崎学校 旧校地 1873〜1899(明治6年〜32年)
(現 市立梅園小学校)
・愛知県第二師範学校附属小学校 旧校地 1901・1902(明治34・35年)
(現 愛知教育大学付属岡崎小学校)
・岡崎町立商業補習学校 旧校地 1902〜1905(明治35年〜37年)
(現 県立岡崎商業高等学校)
・岡崎町立高等女学校 旧校地 1907・1908(明治40・41年)
(現 県立岡崎北高等学校)
明治時代になると本堂を残し、書院と庫裡が額田郡に提供されました。
明治6年(1873)岡崎小学校がここに移転され、
9月には額田郡第一番小学岡崎学校(第二大学区内愛知県管下第8番中学区内)
として初めての公立学校となりました。明治25年には町立岡崎高等小学校となり、
32年の移転まで使われました。その後、愛知県第二師範学校附属小学校岡崎町立商業補習学校、
同高等女学校の設立時に、短期間ではありますが仮校舎として利用されました。
岡崎における明治時代の公的な教育施設として、
随念寺庫裡・書院は唯一当時の姿を残すものとして貴重な遺構です。
撮影日 平成27年6月
撮影場所 門前町
投稿者 キノシタ



詳細はこちら
2015年04月17日
大樹寺見学!


徳川将軍の等身大(亡くなった時の身長)の位牌や将軍が実際に過ごしていた御成りの間の襖絵などを見ることができた。
時代背景に合わせて位牌が質素なものから華美なものになったり、時代背景を聞くとすごく面白い!
流石に文化財はの写真は取れなかった、残念。
かわりに5日にできたばっかりの家康公霊夢像をぱしゃり。
どうやら家康は孫の家光の夢に出てきていろいろ相談に乗ってくれたらしい。
次に来るときは相談を持ってくることにしよう。

撮影日 平成27年4月16日
撮影場所 大樹寺
投稿者 KOBA


2015年03月10日
滝山寺鬼まつり
鬼まつりは、旧暦元旦から七日間、本堂で天下太平・五穀豊穣を祈る修正会(しゅしょうえ)が行われ、その最終日の結願の日夕刻に催されます。
運慶作と伝えられる祖父面・祖母面・孫面をつけた鬼が、燃え盛る炎の中から鏡餅を持って登場し、天下泰平・五穀豊穣を約束するといわれている。
鬼面を被る者は七日間、斎戒沐浴して別室で起居します。女との接触は禁止され、四足動物の肉を口にしないなどの戒律があり、炊事なども男の手によってなされます。
(滝山寺HPより引用)

最初は子供たちが松明を持って登場します。

鬼登場!


火の粉も舞い、本堂が焼けてしまわないかとハラハラしてしまいます。

火まつりは最後の15分間くらいとあっという間なのですが、本当にすごい迫力でした!
撮影日 平成27年2月21 日
撮影場所 滝町
投稿者 SUZUKI


2014年07月02日
名鉄挙母線

昭和48年に廃線になった大樹寺から上挙母まで走っていた名鉄挙母線の大樹寺駅(今の名鉄バスターミナル)に向かう電車の写真です。
JRの岡多線(現在の愛知環状鉄道)に替わるまで地域の方の足として親しまれていました。のどかなあのころの風景です。
撮影日 昭和48年ごろ
撮影場所 大樹寺駅
投稿者 大樹寺寺務所 野村 (撮影者 小川)


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2014年01月30日
「小六」と「日吉丸」に再会
「出合之像」は戦国時代に蜂須賀小六と日吉丸(豊臣秀吉の幼名)が矢作橋で出会ったという言い伝えによるものです。像は矢作橋西端北側の元あった場所に再設置され、現在周りの整備工事が進められてます。ここには、旧矢作橋の親柱も保存展示されてます。写真の右端には現在の矢作橋が少しだけ見えます。
岡崎城や八丁味噌蔵を見た観光客が、矢作橋を渡って出合之像まで足を延ばしてもらえたらと思います。この付近には、日本武尊(ヤマトタケル)の伝承がある矢作神社、浄瑠璃姫の墓がある誓願寺、松平家とも関係が深い勝蓮寺、旧東海道に面して銘菓「やはぎ小町」を商う店など、見どころ・味どころがいっぱいです。
撮影日 平成26年1月24日
撮影場所 矢作町
投稿者 岡崎エクスプローラー


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2013年10月22日
郷土出身者の風景②(本多光太郎博
博士の銅像は市民会館の庭に設置されており、以前に当ブログで紹介しました(2013年3月28日)。
今回はそれ以外の博士ゆかりの風景を紹介します。
東公園に、生家から移築された博士の勉強部屋が資料館として公開されてます。最初の写真は資料館の外観で、二枚目は資料館の裏手にある石碑の風景です。
石碑には「つとめてやむな」と彫られてます。

本多博士は七歳の時、妙源寺の庫裡にあった桑子学校に入学しました。その後身である矢作(ヤハギ)南小学校に博士の胸像があり、台座には「つとめてやむな」の語が記されてます。
この言葉は、学校長の求めに応じて博士が揮ごうしたもので、今では同校の校訓となってます。
博士の像は西を向き、校庭で遊ぶ子供たちを優しく見守ります。

本多博士の胸像が見つめる方向、小学校の西隣に妙源寺があり、そこに本多家の墓があります。1950年に博士の夫人が亡くなったとき、博士の発案で両親や兄弟の墓を新しくすると共に自身と夫人が入る墓を造りました。そして、それぞれがどんな人であったか分かるように短い言葉を書き記すよう提案し、自身の墓の裏面には「鉄鋼の世界的権威者」と刻みました。因みに、新堀町で農業を継いだ長兄の墓には、「明治用水開拓者」と記されました。
なお、妙源寺は鎌倉時代に建立の由緒ある古刹で、奥に見える柳堂は国の重要文化財です。
撮影日 平成25年10月10日、14日
撮影場所 欠町(カケマチ)、大和町(ダイワチョウ)
投稿者 岡崎エクスプローラー


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2013年08月05日
藤川西町「うんとり」

藤川西町堤ヶ入の旧東海道沿いに「うんとり」と呼ばれる地名がある。写真の手前、田の中を西に通る道があり、その向こうに名鉄本線が走る。名鉄線の向こうの松並木は旧東海道。山の手前の高い建物は「うんとり」(薬屋)の3階建ての立派な建物。この建物は、ネオンを付けて大変目立つものであったというが、昭和34年の伊勢湾台風の時に1・2階がつぶれてしまったという。この写真は、山﨑さんの所蔵写真の中にあったが、撮影は杉浦彰氏。もとの写真は、画像部分は4cm×5cmほどの大きさで、いわゆる「六六版」という。劣化が激しいが、とても貴重な写真であり、大切に保存したいものである。

写真撮影場所。航空写真は昭和22年。米軍が撮影。
撮影日 昭和30年頃
撮影場所 藤川駅西(現在の「道の駅」あたり)より藤川西町の「うんとり」方面(西南)を眺めたところ。
投稿者 土井政美


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2013年07月18日
古い写真が生き返る時・藤川関山神社を臨む



何枚かの写真の中にあった横5Cm×縦4Cmの小さな写真でした。どうも関山神社らしい。しかし、国道一号は通っていないし、参道がみえるが、風景が現在と全然違います。そこで、現地に行って同じ位置を想定して写真を撮ってみました。そうしたら、田の形が60年前と全く同じでした。位置の特定も行えました。もちろん、地元の方の案内があったればこそでした。三枚目は、写真を撮った場所(陣屋跡)です。
撮影日 昭和20年代、2013年5月
撮影場所 藤川陣屋跡
投稿者 古い写真(不明)所蔵 山﨑守 投稿 土井政美


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