2010年10月13日
信光明寺
岡崎は徳川家康公の生誕の地。そして徳川家の祖先である松平氏は、三河進出の第一歩として、岡崎平野や矢作川を眼下に望む山麓の地、この岩津山に本拠を構えました。現在、周囲は宅地化が進み、境内に保育園も立地していますが、寺の後背には、信光が三河攻略の足がかりとした岩津城跡である山に往時を偲ぶことができます。
観音堂は、全国の浄土宗で現存する最古の建築と言われる貴重なもので、室町時代の建立から約530年の歴史をつないでいます。
【現地案内文】
松平三代信光(のぶみつ)の創建になる、徳川将軍家ゆかりの名刹です。往時、壮麗を誇った堂宇は、伊勢新九郎(北条早雲)に放火され焼失しましたが、焼け残った観音堂は、室町中期の建築様式を今に伝え、国の重要文化財に指定されています。観音堂の屋根の軒先のそりの深さ、総門の屋根にあがっている鬼瓦などは、ほかではあまり見られないものです。
墓所の一番高い奥まったところに、松平三代(親氏(ちかうじ)・泰親(やすちか)・信光(のぶみつ))の墓があります。
重要文化財 信光明寺観音堂(付棟札)明治37年指定
この寺は、宝徳3年(1451)に岩津城主松平三代信光が、祖父親氏、父泰親の菩提をとむらうために創立したものである。釈誉存冏(しゃくよぞんげい)上人を開山とし、信光の名をとり信光明寺と名付けられた。
観音堂は、棟札によれば文明10年(1478)に建立されたもので、方三間、入母屋造り、こけら葺きで、周囲を石で畳んだ土壇上に立ち、土間床となっている。その構造は、正面中央間を入口とし桟唐土(さんからど)をとりつけ、両脇間に花頭窓(かとうまど)を設け、斗組(ますぐみ)は二手先詰組、軒は二軒扇垂木、内部は周囲一間通りを化粧屋根とし、入側斗組で囲われた身舎部分を鏡天井張りとし、後方の入側柱と前方の側柱上斗組との間に大虹梁(こうりょう)をかけ、前の入側通りに大瓶束(たいへいづか)を立てている。
この堂は、中国から禅宗が伝来すると同時に日本に輸入された禅宗仏殿という建築様式でつくられており、本市にとって、日本建築の歴史の重要な一端を担った建築様式の実例が残されている点で貴重な建築物といえる。
撮 影 日 平成22年10月
撮 影 場 所 岩津町/地図
投 稿 者 キノシタ
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Posted by 岡崎市まちづくりデザイン課 at 08:30│Comments(0)
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