2012年01月31日
通り名のある風景(東康生通り)
今回は東康生通りを紹介します。この通りも本町通り交差点から籠田公園交差点まで300m足らずしかなく、公園より東は伝馬通りになります。江戸時代は籠田公園の付近に籠田総門があり、岡崎城下への東の入り口でした。康生通りは、明治時代に旧城郭内にできた康生町の道路ということで、籠田公園までなのでしょう。
最初の写真は、東康生通りの西の起点である本町通り交差点からみた通りの風景です。この辺りは以前からの商店街で、個人商店主が中心となった町おこしの方法として、今や全国的になった "まちゼミ"発祥の地でもあります。
歩道には街路樹や洒落た街灯が整備されてます。街路樹の根元には草花が育てられ、目を楽しませてくれます。この立札の説明によると、永禄年間(1558-1570)この辺りに徳川四天王の一人・榊原康政が居住していたそうです。ちょっとした歴史で楽しさも倍増します。
ゆったりした歩道には、いろんなものが私たちを出迎えてくれます。これは、岡崎名産品の一つ石工品のモニュメントです。傍らのの石板に"石の風景~岡崎から"と記されてました。
さらには、モダンアートを楽しむこともできます。
最後は、籠田公園交差点近くにある"家康公誕生之街"の時計塔。東康生の文字があり、通りのシンボルです。
撮影日 平成24年1月23日
撮影場所 東康生通り
投稿者 岡崎エクスプローラー
あなたのいいとこ写真、ぜひ、ご応募ください!応募はこちら
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最初の写真は、東康生通りの西の起点である本町通り交差点からみた通りの風景です。この辺りは以前からの商店街で、個人商店主が中心となった町おこしの方法として、今や全国的になった "まちゼミ"発祥の地でもあります。
歩道には街路樹や洒落た街灯が整備されてます。街路樹の根元には草花が育てられ、目を楽しませてくれます。この立札の説明によると、永禄年間(1558-1570)この辺りに徳川四天王の一人・榊原康政が居住していたそうです。ちょっとした歴史で楽しさも倍増します。
ゆったりした歩道には、いろんなものが私たちを出迎えてくれます。これは、岡崎名産品の一つ石工品のモニュメントです。傍らのの石板に"石の風景~岡崎から"と記されてました。
さらには、モダンアートを楽しむこともできます。
最後は、籠田公園交差点近くにある"家康公誕生之街"の時計塔。東康生の文字があり、通りのシンボルです。
撮影日 平成24年1月23日
撮影場所 東康生通り
投稿者 岡崎エクスプローラー
あなたのいいとこ写真、ぜひ、ご応募ください!応募はこちら
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Posted by 岡崎市まちづくりデザイン課 at 08:30│Comments(2)
│くらしの風景
この記事へのコメント
岡崎エクスプローラーさん、こんにちは。
榊原康政・・・そうなんですか!
土地の履歴(記憶)を知るだけで、歴史が身近なものになります。
ふむふむ。確かに籠田公園までは旧城郭。
ここから天守閣まで結構離れています。
城郭というのがどれほどのスケールであったかは、現在のまちでも十分体感できます。
そして、街路樹や商店、モニュメントなどなど色々な要素で、その通りの個性を活かした景観が創り出されていますね。
榊原康政・・・そうなんですか!
土地の履歴(記憶)を知るだけで、歴史が身近なものになります。
ふむふむ。確かに籠田公園までは旧城郭。
ここから天守閣まで結構離れています。
城郭というのがどれほどのスケールであったかは、現在のまちでも十分体感できます。
そして、街路樹や商店、モニュメントなどなど色々な要素で、その通りの個性を活かした景観が創り出されていますね。
Posted by キノシタ at 2012年02月01日 12:40
キノシタさん、こんにちは。
いつもコメントありがとうございます。
榊原康政に関する事跡は市内にはあまりないので、立札の説明に少し興奮しました。
立札には親切に、以下の出典が記されてました:
『永禄四年~六七年迄 岡崎御在城之間家中御旗本衆之屋敷附』より
いつもコメントありがとうございます。
榊原康政に関する事跡は市内にはあまりないので、立札の説明に少し興奮しました。
立札には親切に、以下の出典が記されてました:
『永禄四年~六七年迄 岡崎御在城之間家中御旗本衆之屋敷附』より
Posted by 岡崎エクスプローラー at 2012年02月01日 18:19