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2012年04月05日

岡崎市内の「歴史的景観」の維持のために:その4

愛知教育大学名誉教授(岡崎市文化財保護審議会会長)の新行紀一先生による「岡崎市内の「歴史的景観」の維持のために」と題したレポートを掲載します。

印刷は、こちらから
平成21年度に市の行政アドバイリー制度を活用して先生にご助言をいただいたものです。

岡崎市内の「歴史的景観」の維持のために:その4
4 昭和34年(1959)の復元天守閣の完成により、ビスタラインは80年を経て復活した。ビスタラインのみならず、市街地の
多くの場所から天守閣が遠望でき、家康誕生の地岡崎のシンボルとなった。全国の戦災都市の模範となった復興事業によって、木造低層の住宅や商店が続く中心市街地を市内電車が走っていく風景は、それなりの安定感をもった地方都市の景観であった。それが大きく変化するはじまりは昭和40年代の中心市街地再開発であった。明治以来の旧城内には多くの公共機関があった。それを周辺地域に移し、跡地に高層の商業施設を建てることが全国で行われ、岡崎でも同様であった。その結果、天守閣はまず北東方向からの眺望が大きく阻害されるようになった。ビスタラインは冒頭に述べた経過で何とか維持されてきたが、殿橋・明代橋からの眺望は大きく阻害されるにいたっている。

戦災復興期はある程度仕方なかったとしても、その後の再開発事業においては、開発対象地の遺跡、特に城下町遺跡についての顧慮が不十分であった。平成20年(2008)春の浄瑠璃曲輪の堀跡出現は、その典型例である。再開発による高層化の方向は避けられないとしても、景観のみならず遺跡にも気を配っていかねばならないと痛切に感じているところである。3月から開始された東岡崎駅前再開発事業は、「岡崎」地名の発祥地である明大寺地区を対象としている。平安末期にはじまる「明大寺」の衰退後の室町時代に西郷氏、岡崎松平氏三代、及び松平清康が本拠地とした明大寺地区は、江戸時代以前の東海道
が通っていた。市営駐車場附近にあったとみられる「岡崎城址」を中心とする遺跡調査を注意深く行っていかねばならない。

ビスタラインを守る方法としては、景観法に基づく条例制定しかありえないであろう。その点で重要なことは、ビスタライン保護を含む「景観計画」、「景観形成重点地区」は、国の文化財保護の体系における「文化的景観」概念をどのように受け止めているのか、また平成20年(2008)11月に施行された「地域における歴史的風致の維持及び向上に関する法律(通称「歴史まちづくり法」)」のいう市町村の「歴史文化基本構想」と「歴史的風致維持向上計画」、それらに基づく「歴史文化保存活用区域」との関連をどう把握していくかである。

私見では岡崎市の場合、「保存活用区域」になりうるかもしれない地域は、大樹寺、滝山寺、真福寺と岩津古墳群、岩津城址と信光明寺を中心とした地区である。戦災都市である岡崎が「文化財総合的把握モデル事業」の対象となる可能性は皆無といってよかろう。また、「基本構想」や「向上計画」を策定することも当面はありえないであろう。しかし、「歴史文化保存活用区域」と「関連文化財群」という構想に、岡崎市の文化財保存行政の今後の方向を考えるうえで、大きな示唆を与えてくれる。それであるがゆえに、景観法-景観条例という体系での景観(眺望)保存との法令上の整合性と市行政における協力・分担・統合のあり方に強い関心を持っている。部・課の枠を取り払った議論の深化を切望する。

岡崎市内の「歴史的景観」の維持のために:その4
岡崎市内の「歴史的景観」の維持のために:その4
現在、殿橋では南3分の1からのみ天守閣が見える。明代橋では中央4分の1からのみになった。吹矢橋からは全く見えなくなった。中岡崎駅ホームからの眺望も次第に悪化している。ビスタラインの天守閣の背景、乙川南岸に超高層マンションが建つ姿を想像するのは悪い夢で終わってほしい。

岡崎市内の「歴史的景観」の維持のために:その4
文化財保護問題はとかく個別の「物」の保護に終始する傾向にあったことは否めない。それゆえ、文化的景観といっても、たとえば寺院地、棚田などある限定をもった対象指定となる。都市景観については文字通り「都市計画」担当部局や専門家が、歴史的景観を含む広汎な観点からの検討の中心的役割を担ってほしいものである。

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Posted by 岡崎市まちづくりデザイン課 at 08:30│Comments(1)景観学習
この記事へのコメント
八帖交差点の歩道橋から岡崎城の天守閣が見ていたのですが、先日 久しぶりに行ったら見えなくなっていました。
また、明神橋からの名鉄電車のツーショットも好きだったですが、お城の背後に康生の高層マンションがあり、眺めがイマイチになりました。

<<現在>>
http://ameblo.jp/everyday-sunny-morning/entry-11138796872.html

<<二年前>>
http://ameblo.jp/everyday-sunny-morning/entry-10526159700.html

景観の維持に期待しています。
Posted by 明るい朝 at 2012年04月05日 21:46
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