2009年07月11日
景観を読み解く011
今回は、「風水」による景観の読み解きをご紹介します。
風水といえば、平安京(現在の京都市)が有名です。
東西南北の四方を守護するとされる聖獣「四神」の、北の玄武(げんぶ)、南の朱雀(すざく)、西の白虎(びゃっこ)、東の青龍(せいりゅう)が宿る地形に都を建設したのです。
北の船岡山・鞍馬山、東の鴨川、南の巨椋池、西の山陽道・山陰道のある理想の地であったのです。
さて、転じてわがまち、岡崎はどうでしょうか。
今回は、岡崎を含めた江戸幕府の風水思想に基づく、ある説を紹介します。
日本の都市建設は古来から風水によることが多く、本日、ご紹介するのは「大樹寺」と「日光東照宮」の関係の一説です。
雑誌等でもとりあげられることの多い説ですが、非常に興味深い、壮大なスケールの都市建設の思想が浮かび上がります。
徳川家康の遺言に、「遺体は駿河の久能山に納め、葬儀は江戸の増上寺にて行い、位牌は三河の大樹寺に立て、一周忌を過ぎて以後、日光山に小さき堂を建て…」とあります。
実際、大樹寺には、家康以後、歴代の将軍(15代将軍慶喜を除く)の位牌があります。
この遺言の配置を日本地図上に展開すると、ひとつの仮説、風水上の手がかりが読み解かれます。
遺体が埋葬された久能山は「不死の山」といわれる「富士山」越しに、江戸の真北に位置する日光とひとつの軸線で結ばれます。
大樹寺との関係で見てみますと、久能山からほぼ真西へ「鳳来寺山」、「大樹寺」が位置し、その先には秀吉を祀る「豊国神社」があります。
この位置関係を見ますと、一説であるとは言え…神秘とロマンを感じますね。
家康を祀る「日光東照宮」は、北極星を背景に江戸(東京)に気の流れを注ぎ、大樹寺や久能山は西からの秀吉の気の流れを遮断するという配置になっているそうです。
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Posted by 岡崎市まちづくりデザイン課 at 08:30│Comments(0)
│景観学習