2010年03月28日
岡崎の都市計画の祖、田中吉政の石造が設置されました。
サクラの花がちらほら咲き出す陽気のなか、昨日、田中吉政像の除幕式が行われました。
東海道の歴史を伝える石製品達が、また新たに、土地の持つ歴史と未来をつなぎ、岡崎の歴史を伝える景観のひとつとなりました。
岡崎市の伝統的工芸品産業である石製品を中心市街地に設置し、市民や岡崎市を訪れる観光客等に広くPR することにより石製品産業の振興を図ること、そして、「岡崎二十七曲り」の新たな資源として活用を促進し、中心市街地活性化を推進することを目的として、市道篭田町線中央緑道北端(籠田町地内) に、岡崎城主当時に田中吉政が行ったまちづくりの功績を広く市民に周知する「田中吉政像」が設置されました。
設置場所は、籠田総門や惣掘(田中掘)跡地付近にあり、当時、田中吉政がここから東海道を城郭内に引き入れた場所であり、また、市道伝馬町線に面し、広く市民に周知できるなど、歴史上の意義があり、また、設置効果も高い場所であるとのこと。
わがまち岡崎は、「徳川家康生誕の地」として、あまりにも有名です。
が、しかし、
実は豊臣政権下の10年間という短い統治期間にもかかわらず、今の岡崎の「都市構造」の礎を築いた偉人、
それが「田中吉政」なのです。
【田中吉政概略】
豊臣政権下における岡崎城主(1590年(天正 18 年)〜1600年(慶長 5 年) 、岡崎城主として城郭の拡張、城下町造成、当時菅生川の南にあった東海道の城下への導入、惣構・惣掘(田中掘)の構築などを行い、岡崎城下の経済的繁栄の基礎を築いた。
撮 影 日 平成22年3月
撮 影 場 所 籠田町/地図
投 稿 者 キノシタ
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Posted by 岡崎市まちづくりデザイン課 at 08:30│Comments(2)
│くらしの風景
この記事へのコメント
こんにちは、“ジュエル足立”です。
恥ずかしながら、歴史に疎い私は、全く存じ上げませんでした。(+。+)アチャー。
それどころか、お名前の雰囲気から「最近の方なんだろう・・・」って
勝手に思い込んでいました。f(^^;) ポリポリ
> 岡崎城下の経済的繁栄の基礎を築いた。
じゃあ、康生通り南で商売をさせてもらってる私は、通りがかったら、手を合わせてお参りしないといけませんね。(゚ー゚)(。_。)(゚-゚)(。_。)ウンウン
では、また。(^0^)/~~ バイバイ
恥ずかしながら、歴史に疎い私は、全く存じ上げませんでした。(+。+)アチャー。
それどころか、お名前の雰囲気から「最近の方なんだろう・・・」って
勝手に思い込んでいました。f(^^;) ポリポリ
> 岡崎城下の経済的繁栄の基礎を築いた。
じゃあ、康生通り南で商売をさせてもらってる私は、通りがかったら、手を合わせてお参りしないといけませんね。(゚ー゚)(。_。)(゚-゚)(。_。)ウンウン
では、また。(^0^)/~~ バイバイ
Posted by ジュエル at 2010年03月28日 13:18
ジュエル足立さん、こんばんは。コメントありがとうございます。
「田中吉政」。
秀吉が初めて城持ちになった長浜(滋賀県)時代の頃、家臣になったそうです。
敵方の家康の本拠地であった岡崎を任されるほどの方です。
そして、今回の石製品にゆかりのある、
岡崎の石工の神様でもあります。
「田中吉政」。
秀吉が初めて城持ちになった長浜(滋賀県)時代の頃、家臣になったそうです。
敵方の家康の本拠地であった岡崎を任されるほどの方です。
そして、今回の石製品にゆかりのある、
岡崎の石工の神様でもあります。
Posted by キノシタ at 2010年03月29日 18:17