2010年06月21日
若宮八幡宮
春に桜が満開であった境内も、初夏の緑が萌えています。
【岡崎観光きらり百選 説明案内文】
家康の長男信康は、信長の娘徳姫と結婚し、家康が浜松城に移った年(1570年)、岡崎城主になりました。信長は、信康の母築山御前が今川方の出身であり、武田方と内通しているとの理由で、築山御前と信康の処断を家康に迫りました。家康も助命のために努力しましたが果たせずに信康は自刃、築山御前は殺害されてしまいました。八柱神社には築山御前の首塚(首をまつった墓)が、若宮八幡宮には信康の首塚があります。
【現地石碑文】
御由緒
御祭神 仁徳天皇 岡崎三郎信康公
当神社の創立年月日不詳であるが 往古より名栗天神と言い仁徳天皇を奉斎する神社であった。その後天正7年(1579)9月15日 徳川家康公の御長男岡崎三郎信康公は織田信長の御口難により 遠州二股城にて御時21才を此の世の果と御自害され 御首は信長方へ實験の上岡崎へ御差戻しとなった いかに戦国の世とは言へ 子を失った親の気持は計り知れない 家康公は涙をこらへ 清水万三郎に仰せ付け 当地に奉埋する その後岡崎城内には種々の怪異変化が度び重なり 諸人等は恐れ入り 信康公の御霊を当神社に合祀する 当時は信長の権力により 公には出来ず社名を菅生八幡宮と改める その後若宮八幡宮と改め明治5年村社となる
撮 影 日 平成22年4、5月
撮 影 場 所 朝日町/地図
投 稿 者 キノシタ
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Posted by 岡崎市まちづくりデザイン課 at 08:30│Comments(0)
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