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2010年06月10日

御馳走屋敷-岡崎宿伝馬歴史プロムナード


「岡崎城下二十七曲り」と呼ばれた岡崎の東海道(岡崎宿)、その一部に「岡崎宿伝馬歴史プロムナード」と呼ばれる区間があります。岡崎は戦災にあい、残念ながら町並みとしての宿場の雰囲気はありませんが、東海道の歴史を伝える石製品達が、その土地の持つ歴史と未来をつないでいます。

【現地案内文】
現在の岡崎信用金庫資料館南辺りに御馳走屋敷という屋敷があった。文政9年の「家順間口書」によると間口が15間以上もある立派なものであった。御馳走とは接待を意味する言葉で、この屋敷は公用の役人などをもてなす、いわば岡崎藩の迎賓館的な役割を持っていた。公用旅行者の格式によって接待方法も違うが、特に勅使や宮様、御三家、老中、所司代、お茶壷、朝鮮通信使などの高位高官の一行が岡崎宿を利用する際の接待には岡崎藩から家老がこの屋敷に出向いて丁重にあいさつしたという。

撮  影  日  平成22年3月
撮 影 場 所  伝馬通2丁目/地図
投  稿  者  キノシタ

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Posted by 岡崎市まちづくりデザイン課 at 08:30Comments(0)くらしの風景

2010年01月04日

朝鮮通信使


豊臣秀吉の朝鮮侵略、文禄・慶長の役からわずか9年後の慶長12年(1607)、徳川家康公は李氏朝鮮と対等の国交を回復しました。断絶状態からわずか9年後の国交正常化は江戸幕府が高い外交能力を持っていたことの証と言えます。そして江戸時代を通じ、全12回の「朝鮮通信使(いわゆる親善大使)」が来日しています。今、話題の広島県の「鞆の浦」も朝鮮通信使ゆかりの地であり、江戸までの道のりの各地に朝鮮通信使ゆかりの地があります。岡崎もそのひとつであり、通信使に将軍の最初の歓迎の挨拶をする地として有名で、その場所は「御馳走屋敷」と呼ばれていました。通信使の一行は毎回500人規模の大所帯で、江戸から来た「問慰使」が歓迎の挨拶をしておもてなしをしました。通信使も岡崎は「家康公生誕の地」として、特別の場所であると認識していたようです。御馳走屋敷は、文政9年(1826)の「家順間口書」によると、間口が15間以上もある立派なものであったそうです。御馳走とは接待を意味する言葉で、この屋敷は公用の役人などをもてなす、いわば岡崎藩の迎賓館的な役割を持っていました。現在は岡崎市所有地で空地となっています。

撮  影  日  平成21年12月
撮 影 場 所  伝馬通1丁目/地図
投  稿  者   キノシタ

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Posted by 岡崎市まちづくりデザイン課 at 08:30Comments(0)歴史の風景

2009年01月27日

岡崎城下二十七曲り⑦


かつて東海道有数の宿場町であった岡崎宿の語りべとして、伝馬通りの両脇に20基のかわいい石彫たちが並んでいます。ひとつひとつの石彫には説明があり、往時の岡崎宿伝馬の様子を知ることができます。(石彫一覧:本陣・脇本陣、駒牽朱印、二十七曲、矢作橋、あわ雪茶屋、作法触れ、往来手形、一里塚、市隠亭、旅籠屋、、お茶壺道中、朝鮮通信使、助郷、飯盛女、田中吉政、人馬継立、三度飛脚、塩座、御馳走屋敷、籠田総門)

撮 影 日  不明
撮影 場所  岡崎宿伝馬歴史プロムナード(伝馬町)/地図
投 稿 者  都市計画課

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Posted by 岡崎市まちづくりデザイン課 at 08:30Comments(0)歴史の風景