父への想い
徳川家康公の父、松平広忠公の御廟所のある松應寺。
母とは離別、人質となっていた幼少時代、突然、父を失った家康公。
現在の寺内の景観が、一本の松に託した父への想いを伝えています。
織田家(尾張)で人質となっていた竹千代(家康公)7歳のときに、父広忠公(24歳)を亡くしました。そして、織田家と今川家の人質交換により、名古屋から駿府へと向かう途中で、父の埋葬されているこの地に松を植えました。残念なことに、平成3年(1991)に、家康公お手植えの松は枯死してしまい、現在は2代目です。
【現地案内文】
徳川家康公の父・松平広忠公は天文18年(1549)3月、岡崎城中で家臣に刺殺され、亡き骸は、この地に埋葬されました。当時、人質として尾張にいた松平竹千代(家康)は、同年11月、岡崎に帰ると、この墓上に小松一株を植え、松平一族の繁栄を祈願しました。
永禄3年(1560)、家康公は、桶狭間(おけはざま)の戦いの後、岡崎城主となり、この地に一寺を建立しました。手植えの松が緑深く、東方に伸長するのを見て、「我が祈念に應ずる松なり」として、松應寺と名付けました。
この御廟所は、慶長10年(1605)、広忠公の57回忌にあたり、家康公により本堂などと共に造営、整備され、家康公を始め、秀忠、家光など歴代将軍が参詣しました。
撮 影 日 平成22年9月
撮 影 場 所 松本町/
地図
投 稿 者 キノシタ
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