明神渡船場

岡崎市まちづくりデザイン課

2010年04月06日 08:30



乙川右岸の三嶋神社裏の河畔に「明神渡船場の碑」があります。
ここ「三嶋」と対岸の「福嶋(現在の板屋町)」を渡し船が行き交っていた「歴史」を伝えています。
今は「明神橋」という橋が架けられ、国道248号が南北に通っています。

ところで、この「明神橋」の「明神」。

神様を連想させるこの名前に、渡船場隣接の「三嶋神社」が関係しているのでは?

境内の案内板には「三嶋神社の古称を「三嶋大明神」という。」とあります。

地名には、その土地の文脈を読み解く手がかりがあることが多く、この地も「明神」や「三嶋」に所縁のある名の付いたものが多いのでしょう。

ちなみに、「三島小学校」は、もとはここ「三嶋」の地にあり、現在は明大寺町に移転しています。

【三嶋神社】
古称:三嶋大明神
往古は鳥居氏の氏神 明暦4年(1658)岡崎城主水野監物忠善が武運長久祈願のため再興建立し代々城主の崇信厚く、神殿内の本殿は宝永3年(1706)に水野監物忠之が再建したものである。当社は腫物になやむ人に霊験があり祈願のため鰯を供えるならわしがある。これは文政のころ、矢作村持田某の息女がなまず(皮膚病の一種)全快の報謝として鯰(なまず)の絵馬を寄進したことに起因するといわれている。

撮  影  日  平成22年3月
撮 影 場 所  上六名町/地図
投  稿  者  キノシタ


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