2010年01月18日
鶴田卓池
国道1号沿い、岡崎信用金庫に碑が建っています。江戸時代後期の俳句界で活躍した鶴田卓池の生家があった地だそうです。信用金庫の南にある満性寺は、卓池ゆかりの寺。国道1号と乙川に挟まれたこの辺りは、「鶴田卓池」や東泉寺の寺子といい、江戸時代には岡崎の文学をリードする地であったのでしょう。満性寺の境内には「かがやきのますばかりなりけふの月」の句碑が建っています。
【俳人 鶴田卓池(つるたたくち)】岡崎信用金庫案内板文
1768〜1846。明和5年8月15日、この地に生まれる。名は光貞(みつさだ)、通称は予三右衛門(よそうえもん)、別に青々処(せいせいしょ)・藍叟(らんそう)という。紺屋(こんや)を業とする。尾張の暁台(きょうだい)に学び、のち同門の士郎(しろう)に従う。すこぶる上達して全国的に三河の卓池(たくち)、岡崎の卓池として親しまれる。晩年京都の蒼(そう)きゅう・梅室(ばいしつ)、江戸の鳳朗(ほうろう)とともに天保四老人と称され、俳壇の権威であった。初め梅園円光地(うめぞのえんこうち)内に燕岡庵(えんこうあん)を結び、後に菅生蟹沢(かにさわ)に庵を移して涼風不断軒(りょうふうふだんけん)という。門人はなはだ多く三河全域より駿遠甲信に及ぶ。弘化3年8月11日、庵中に死去、79歳。菅生満性寺に葬る。同寺、稲熊の法専寺、八橋(やつはし)の無量寿寺に句碑がある。
撮 影 日 平成22年1月
撮 影 場 所 菅生町/地図
投 稿 者 キノシタ
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Posted by 岡崎市まちづくりデザイン課 at 08:30│Comments(0)
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