2012年06月12日
大樹寺より岡崎城を望む(ビスタライン)
大樹寺三門。なんと立派な佇まい。
この門の足元をみると…なにやら銀色の鋲が打ってあります。
ビスタライン眺望点…?
鋲の矢印の方を眺めてみると…
むむ、あれは…岡崎城ではないか!
総門を額縁として真ん中に岡崎城を望むことができる場所だったのか!
そのまま左手を見ると、総門脇に説明看板のようなものが立っています。
そこには以下のように書かれていました。
「今に伝わる歴史的眺望 眺望ライン(ビスタライン)
ビスタラインの「ビスタ」は「眺望・展望を意味し、大樹寺と岡崎城を結ぶ、
標高差を利用した約3kmの直線を「眺望ライン(ビスタライン)」と呼んでいます。
これは、徳川三代将軍家光公が家康公の十七回忌を機に、「祖父生誕の地を望めるように」との想いを守るため、徳川家の祖先、松平家の菩提寺である大樹寺の本堂から三門、総門(現代は大樹寺小学校南門)を通して、その真中に岡崎城を望むように伽藍を整備したことに由来しています。
時は移り、岡崎城も再建されましたが、大樹寺と岡崎城を結ぶ歴史的眺望は往時のままで、門越しに望む岡崎城は、まるで額のなかの絵のようです」
なるほど。とすると、約370年にわたって高い建物が建てられず、この岡崎城への眺望がなんとか守られてきたわけか。
もしかしたらライン下の方々は色んな思いをお持ちかもしれないですね。
それでも偶然なのか必然なのか、結果こうして守られてきことに感謝申し上げたいです。
撮影日 平成24年6月
撮影場所 鴨田町
投稿者 T.S
あなたのいいとこ写真、ぜひ、ご応募ください!応募はこちら
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この門の足元をみると…なにやら銀色の鋲が打ってあります。
ビスタライン眺望点…?
鋲の矢印の方を眺めてみると…
むむ、あれは…岡崎城ではないか!
総門を額縁として真ん中に岡崎城を望むことができる場所だったのか!
そのまま左手を見ると、総門脇に説明看板のようなものが立っています。
そこには以下のように書かれていました。
「今に伝わる歴史的眺望 眺望ライン(ビスタライン)
ビスタラインの「ビスタ」は「眺望・展望を意味し、大樹寺と岡崎城を結ぶ、
標高差を利用した約3kmの直線を「眺望ライン(ビスタライン)」と呼んでいます。
これは、徳川三代将軍家光公が家康公の十七回忌を機に、「祖父生誕の地を望めるように」との想いを守るため、徳川家の祖先、松平家の菩提寺である大樹寺の本堂から三門、総門(現代は大樹寺小学校南門)を通して、その真中に岡崎城を望むように伽藍を整備したことに由来しています。
時は移り、岡崎城も再建されましたが、大樹寺と岡崎城を結ぶ歴史的眺望は往時のままで、門越しに望む岡崎城は、まるで額のなかの絵のようです」
なるほど。とすると、約370年にわたって高い建物が建てられず、この岡崎城への眺望がなんとか守られてきたわけか。
もしかしたらライン下の方々は色んな思いをお持ちかもしれないですね。
それでも偶然なのか必然なのか、結果こうして守られてきことに感謝申し上げたいです。
撮影日 平成24年6月
撮影場所 鴨田町
投稿者 T.S
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Posted by 岡崎市まちづくりデザイン課 at 08:30│Comments(0)
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