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2012年12月31日

徳川四天王「榊原康政」

家康学習資料集〜岡崎の心を学ぶ〜
岡崎市立大樹寺小学校教材開発部「家康・地域を生かした教材開発」のために より抜粋(一部加筆)

徳川四天王「榊原康政」
榊原康政は、知勇兼備の武将として葵武将隊でも登場しますが、家康家臣団の中で学問のある武将と知られています。では榊原康政はどこで勉強をしたのでしょうか。それは大樹寺だと言われています。康政は今の豊田市上郷町にある上野城で生まれましたが、祖父の代から松平家の譜代家臣でしたので、松平家の菩提寺大樹寺で学問に励んでいました。その後、家康に見出されて16歳の時、三河一向一揆で初陣を飾りました。その時の功績により家康から「康」の一字を賜りました。知勇兼備と言われた榊原康政の名をもっとも世に広めたのが小牧・長久手の戦いです。この時、康政が書いた檄文が有名です。織田信長の次男信雄と徳川家康の連合軍が豊臣秀吉と戦うのが小牧・長久手の戦いですが、この時、榊原康政は、「農民の子に過ぎない秀吉は、信長に寵愛されて武将となり大国を与えられたくせに、信長亡き後、主恩を忘れて信長の次男信雄と戦おうとしている不忠義者だ」と檄文を書き、秀吉討つべしと訴えたのです。これを読んだ秀吉は激怒して、康政の首に十万石の懸賞をかけました。秀吉を激怒させた作文の技は、大樹寺で身に付けたものなのでしょう。

撮影日  不明
撮影場所 鴨田町
投稿者  大樹寺小学校・都市計画課

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Posted by 岡崎市まちづくりデザイン課 at 08:30│Comments(0)歴史の風景
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