2009年06月11日
北野廃寺跡②

7世紀後半の白鳳時代に豪族の氏寺として建立されたこの寺院は、東西126.5メートル、南北146メートルの土塁が四方にめぐり、中央に南から塔、金堂、講堂が一列に並ぶ四天王寺式の伽藍配置である。
主要堂塔のうち塔は法隆寺五重塔に匹敵する大きさであるのに、金堂が小規模であるのは、釈迦を供養する塔中心の初期仏教思想のあらわれであろうか。
出土遺構には、高句麗様式の古瓦をはじめとして、堂塔の壁面を飾った塼仏(せんぶつ)、瓦塔、銅製の磬形垂飾(けいがたすいしょく)、緑釉(りょくゆう)陶器や灰釉陶器など優れたものが多い。
大陸渡来の文化と土木、建築、工芸などの新技術を結集したこの寺院は、豪族権力の象徴であるとともに、矢作川流域に最初に開花した仏教文化の拠点として役割をはたしたことであろう。

この広大な空間に、三河山地の山並みを背に塔がそびえる様を。
仏教文化の象徴として、さぞや神々しかったことでしょうね。
現代の暮らしの風景のなかで、今もこの北野廃寺の遺構はしっかりとその歴史を刻んでいます。
撮 影 日 平成21年5月
撮影 場所 北野町/地図
投 稿 者 都市計画課


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Posted by 岡崎市まちづくり推進課 at 08:30│Comments(0)
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