2010年01月07日
山中城址
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岡崎城主 西郷信貞の居城であったが、大永4年(1524)安祥に居城した松平清康の奇襲を受け、一夜にして落城した。
その結果、信貞は清康に属し、岡崎城を明け渡すこととなった。その後、駿河今川義元の西三河進出、徳川家康の東三河進出の拠点となった。この城跡は、標高196メートルの山頂の主郭を中心として、東、東北、西北に延びる尾根筋に曲輪を重ねた連郭式の構造で、東西400メートル、南北200メートルという県下最大級の規模をもつ山城である。この地方に現在残されている山城の中でも、その遺構をよくとどめており、貴重な史跡である。
史跡 山中城跡 指定面積:頂上部の565平方メートル
昭和37年6月15日指定 岡崎市指定文化財
岡崎観光文化百選(山中城址)
この地は、鎌倉街道と南海道に接する、重要な場所でした。西郷信貞は、ここに城を築き、東三河の守りを固め、西三河を制覇しようとしていました。しかし、松平清康(家康の祖父)に夜襲をかけられ落城してしまいました。信貞は清康を恐れ、和を求めて岡崎城もあけわたすことになります。三河地方最大規模の山城跡は、よく保存され、居館や曲輪跡から当時の山城のしくみを知ることができます。
写真中央が山中城址。中世の城址跡として歴史を伝えます。加えて周辺の農地とあいまって優れた里山景観を構成しています。
撮 影 日 平成22年1月
撮 影 場 所 羽栗町/地図
投 稿 者 都市計画課
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Posted by 岡崎市まちづくりデザイン課 at 08:30│Comments(0)
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