2010年12月10日
東公園文化の散歩道〜三河男児歌碑

東公園は26.4ヘクタールの広大な敷地を活用した自然と文化の公園として親しまれ、初夏の花菖蒲や秋の紅葉をはじめ四季折々を楽しむことができるほか、偉人にまつわる建物や句碑などが点在し「文化の散歩道」を楽しむこともできます。
【現地案内文】
この歌碑は、岡崎市出身の世界的地理学者志賀重昂氏(1863~1927)の業績を顕彰しようと、昭和35年12月岡崎市が建立したものです。「三河男児の歌」は、薩長藩閥政府に牛耳られている明治の世相を概嘆し、ひるがえって三河の風土にはぐくまれた歴史と偉人に想いをはせ、沈滞している三河人の士気を鼓舞して、英雄再びこの地にいでて日本の指導者たるべきことを説いたものです。
【三河男児の歌】
汝見ずや段戸(だんど)の山は五千尺
雲巓(うんてん)天に参(まじ)って終古碧(しゅうこみどり)なり
又見ずや矢矧(やはぎ)の水は三十里
急湍石(きゅうたんいわ)を噛(か)んで矢より疾(はや)し
憶(おも)う昔孤軍峻険(しゅんけん)に拠(よ)り
勤王(きんのう)を唱え妖厴(ようえん)を払わんと欲(ほっ)す
借問(しゃもん)す当時将たる者は誰(た)ぞ
足助の次郎臣重範(しげのり)
須臾(しゅゆ)にして賊兵の勢は雷(らい)の如く
千騎万騎山を(ゆるが)して来る
我が軍奮戦して弓劍(きゅうけん)砕け
七分は難に死し三分は潰(つい)ゆ
潰(つい)ゆる者は辱(はじ)を忍んで隴疇(ろうちゅう)に匿(かく)れ
臥薪嘗胆(がしんしょうたん)仇(あだ)を報いんと欲(ほっ)す
機や到らず余烈(よれつ)在り
鬱々(うつうつ)久しく待つ天定まるの秋(とき)
吁嗟(ああ)上帝の眼(まなこ)は朦朧(もうろう)たらず
忽(たちま)ち此の土に英雄を降す
矢矧(やはぎ)の水は清く段戸の山は秀でたり
鐘霊(しょうれい)孕(はら)みだす東照公
撥乱(はつらん)反正皇猷(せいこうゆう)を賛(たす)け
舜雨堯風(しゅんゆぎょうふう)六十州
何ぞ料(はか)らん治極(ちきわ)まって人心弛(ゆる)み
文括武熈(ぶんてんぶき)表裏(おもてうら)に変ずるを
天下の大勢西南に趨(おもむ)き
三河の佳気(かき)恐らく長(とこしな)えに己(や)まん
挽回(ばんかい)豈(あ)に時無からんや
復興必ず期有り
吁嗟(ああ)段戸の山は誰(た)が為に高く
矢矧(やはぎ)の水は誰(た)が為に号(さけ)ぶ
三河男児其れ行け
三河男児須(すべから)く奮起すべし
撮 影 日 平成22年12月
撮 影 場 所 欠町/地図
投 稿 者 キノシタ


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Posted by 岡崎市まちづくり推進課 at 08:30│Comments(0)
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