2010年02月22日
土呂八幡宮
(岡崎観光文化百選、岡崎観光きらり百選の案内説明文)
桧皮ぶきの屋根を持つ本殿は重要文化財に指定されています。三河一向一揆で古記録がすべて焼失してしまい、創立年は不明ですが、平安末期に京都から来た神官によって建てられたと言われています。棟札には元和5年(1619)の造営とありますが、それよりも古い様式を残しています。
土呂城址
永禄7年(1564)の一向一揆のあと、家康の命により石川数正により建てられ、以後城下町として発展する。築城並びに廃城年月日は不詳。御堂山(みどうやま)が本丸の址で、これより北二丁(約220メートル)の御坊山(ごぼうやま)が二の丸の址と伝えられている。(粟田古文書より)
(福岡学区文化財保存委員会 平成16年建立)
撮 影 日 平成22年3月
撮 影 場 所 上六名町/地図
投 稿 者 キノシタ
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桧皮ぶきの屋根を持つ本殿は重要文化財に指定されています。三河一向一揆で古記録がすべて焼失してしまい、創立年は不明ですが、平安末期に京都から来た神官によって建てられたと言われています。棟札には元和5年(1619)の造営とありますが、それよりも古い様式を残しています。
土呂城址
永禄7年(1564)の一向一揆のあと、家康の命により石川数正により建てられ、以後城下町として発展する。築城並びに廃城年月日は不詳。御堂山(みどうやま)が本丸の址で、これより北二丁(約220メートル)の御坊山(ごぼうやま)が二の丸の址と伝えられている。(粟田古文書より)
(福岡学区文化財保存委員会 平成16年建立)
撮 影 日 平成22年3月
撮 影 場 所 上六名町/地図
投 稿 者 キノシタ
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Posted by 岡崎市まちづくりデザイン課 at 08:30│Comments(0)
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