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2011年07月16日

矢作川の橋めぐり(その5:最終回)

矢作川の橋めぐりも、今回の二つの鉄道橋で終了です。

南に位置するのが名鉄本線の鉄橋、その上流に三つの道路橋(矢作橋、日名橋、岡崎大橋)を挟んで愛環鉄道の鉄橋となります。

まず、名鉄の鉄橋は矢作橋からよく見え、なじみ深い鉄橋ですが、ここに紹介する二つの写真で何が違うか分りますか?




列車が違う?、撮影アングルが違う・・・? 
いえいえ、鉄橋に関して、橋げたの色が違うのです。名鉄の鉄橋は、 珍しく鋼製橋げたを使用して、それも上下線が独立した構造です。


その橋げたの塗装が別々の色になっているのです。下流側が水色、矢作橋からいつも見る上流側がラベンダー色です。私たちの目を楽しませてくれますが、塗装を変えている本当の理由は・・・?ちょっと興味がありますね。


名鉄鉄橋の下流左岸河川敷に岡崎滑空場があり、鉄橋付近から着陸態勢のグライダーを上空にみることができます。


さて、最後は愛環鉄道の鉄橋。こちらは前回のJR鉄橋と同じコンクリート製。単線路のため上部構造が簡素で、橋そのものも素朴な感じがして親しみがわきます。

撮影日  平成23年6月、7月
撮影場所 名鉄本線および愛環鉄道鉄橋
投稿者  岡崎エクスプローラー

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Posted by 岡崎市まちづくりデザイン課 at 08:30Comments(2)都市の風景

2011年07月05日

矢作川の橋めぐり(その2)

矢作川中流域の道路橋は、矢作橋、日名橋、岡崎大橋。
矢作川と言えば矢作橋で、この「いいとこ風景ブロ グ」でも、既に何度か紹介されてます。


新矢作橋はどっしりした重量感とともに少し湾曲してやさしい感じが何ともいえずよいですね。橋げたの青が目に沁みます(写真1)。新橋は、歩道が広く快適です。そして、市内のいろんなとこにも矢作橋があります・・・


暮戸の地下道壁画、伝馬歴史プロムナード、マンホール蓋(全て以前に紹介されてますが・・・)(写真2コラージュ)。


日名橋は現在矢作川にかかる道路橋の中で最も古く、1963年竣工。東側にユニチカ工場があり、紅白の煙突が風景にアクセントを添えてます(写真3)。


岡崎大橋は日名橋のバイパス的な役割で、わずか900m上流に架かっています。橋脚が高く、橋の上からの眺めはまた格別です(写真4)。

余談ですが、岡崎大橋の近くの河川敷でキジのつがいを見ました。他の場所でも見かけおり、結構河原に生息しているようです。

撮影日  平成23年6月
撮影場所 矢作橋、日名橋、岡崎大橋
投稿者  岡崎エクスプローラー

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Posted by 岡崎市まちづくりデザイン課 at 08:30Comments(1)都市の風景

2011年06月27日

矢作川の橋めぐり(その1)

岡崎市内の矢作川にいくつ橋が架かっているか知ってますか?道路橋(鉄道橋を除く)だけで、8橋ありま す。上流から、葵大橋、東名矢作川橋、天神橋、岡崎大橋、日名橋、矢作橋、渡橋、美矢井橋の八つ。それぞれが独自の美しい姿形 を持ってます。今回、下流域の二つを紹介します。


美矢井橋。

なんともあざやかな赤に感動です。歩道が後からつけられ車道と離れており、特に下流側は今後の車道拡張を見越してか、間に 大きなスペースがとられてます(一番下写真のコラージュ参照)。

「美矢井(ミヤイ)」の名前は、この地域の昔の町村名「六ツ美」「矢作」 「桜井」から各1字をとっているそうです。


渡橋。

こちらの橋げたは青色。まっすぐ伸び、機能的な美しさを感じます。歩道の欄干にある模様も楽しい。これは、色の少し濃いパイプをはめて描いてます(一番下写真のコラージュ参照)。下流域は川幅が広く、橋の近くの河川敷が公園やグランドに有効活用されてます(一番下写真のコラージュ)。



撮影日  平成23年6月15日
撮影場所 美矢井橋/地図 
     渡橋/地図
投稿者  岡崎エクスプローラー

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Posted by 岡崎市まちづくりデザイン課 at 08:30Comments(1)都市の風景

2011年06月21日

地下歩道の歴史絵巻


岡崎市西部、暮戸町の国道1号線交差点。どこにでもある交差点に、ありふれた地下歩道・・・。


でも、歩道を降りていくと、両側の壁に郷土の歴史絵巻が!浄瑠璃姫の姿があざやかです。


このほかには、「矢作りの里」「矢作橋」「三鹿の渡し」についての壁画と簡単な説明があります。

ずいぶん以前に描かれたもので、ところどころ汚れも目立つけど、子供たちが自分の住む町の歴史・伝説に興味を感じる小さなきっかけになればと思います。

撮影日  平成23年6月11日
撮影場所 宇頭町(暮戸交差点の地下歩道)/地図
投稿者  岡崎エクスプローラー

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Posted by 岡崎市まちづくりデザイン課 at 08:30Comments(1)歴史の風景

2010年11月18日

岡崎城からの眺望(西)


見られることの多いランドマークとしての岡崎城ですが、逆に絶好の眺望スポットでもあります。

ヨーロッパでは初めて訪れたまちで、教会の尖塔などに登ると、まちの概観をつかむことができることが多いです。

ヨーロッパと違い、岡崎城はまちで一番高い建物というわけではありませんが、それでも、おかざきのまちの概観をつかむには絶好の場所であり、気持ちの良い眺望が望めます。

写真は西方面の眺望です。岡崎城から西へ八丁(約870メートル)の距離にある「八丁味噌」のふるさと、八帖町の家並みが正面に望めます。

新しい矢作橋もわずかに望めます。

「見る、見られる」の関係。

矢作橋からも岡崎城が望めます。

撮  影  日  平成22年11月
撮 影 場 所  康生町/地図
投  稿  者   キノシタ

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2010年11月14日

新矢作橋からの岡崎城の眺望



これまでの矢作橋関連の記事はこちら

今月3日に下り線が開通した矢作橋。
旧橋と比べて位置や高さが異なるため、眺望も今までとは大きく変わりました。

名古屋方面から東京方面へ矢作橋を渡るとき、目の前の三河山地の山並みを背景に岡崎のまちが広がるその景観は、自然豊かな都市をイメージさせます。

そして、もうひとつ、「岡崎」と言えば「岡崎城」。

岡崎城はどこ?

市街地と一体となってなかなか見えにくい岡崎城ですが、新しい矢作橋からはどんな風に見えるのでしょうか?

写真の情報からは伝わらないこともあります。
眼前に広がるスケール感の大きい眺望景観をぜひ、現地で体感してみてはいかがですか?




撮  影  日  平成22年11月
撮 影 場 所  矢作町/地図
投  稿  者   キノシタ

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Posted by 岡崎市まちづくりデザイン課 at 08:30Comments(3)眺望の風景

2010年11月03日

国道1号矢作橋の歴史

本日、11月3日、16代目の矢作橋の切替工事が行われ、下り線が開通いたします。
矢作橋は、今から約410年前の慶長年間に、土橋として江戸時代に架けられて以降、その規模や重要性はいうまでもなく、葛飾北斎や歌川広重などの浮世絵にも数多く描かれ、豊臣秀吉と蜂須賀小六が出会った伝説の舞台となるなど、名実ともに近世までわが国で一番有名な橋として、時代を経た今なお、日本の大動脈を支えると同時に、本市を代表する橋でもあります。

以下、国土交通省中部地方整備局 愛知国道事務所リーフレット
「国道1号 矢作橋の歴史」より





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2010年03月22日

二十七曲-岡崎宿伝馬歴史プロムナード


「岡崎城下二十七曲り」と呼ばれた岡崎の東海道(岡崎宿)、その一部に「岡崎宿伝馬歴史プロムナード」と呼ばれる区間があります。岡崎は戦災にあい、残念ながら町並みとしての宿場の雰囲気はありませんが、東海道の歴史を伝える石製品達が、その土地の持つ歴史と未来をつないでいます。

【現地案内文】
東海道の中でも三番目に規模の大きい宿場として栄えた岡崎宿は、「岡崎の二十七曲がり」と呼ばれ、屈折の多いその町並の長さでも有名であった。天正18年に岡崎に入場した田中吉政は城下の道を防衛の必要性から外敵には城までの距離を伸ばし、間道を利用して防衛することができる屈折の多い道として開発した。二十七曲がりは、欠町、両町、伝馬通から籠田を抜け、連尺通、材木町、田町、板屋町、八帖町、矢作橋とつながっており、二十七曲がりを示す碑が現在の町並にもいくつか置かれている

戦災にあった岡崎では、わずかに残る建造物を除いて、宿場町らしさを伝える「まちなみ」の景観はありませんが、東海道の道筋が現在のまちの道とほぼ同じであるなどの「土地の記憶」としての「歴史性」や「都市構造」は現代のくらしに継承されています。「伝馬通り」などの地名に宿場町の歴史が・・・中心市街地の数ある街路のなかから、幾重にも屈折した東海道の道筋をトレースしながら、「現代のまちなみ」と「東海道の歴史」をつなぎながら歩くと、いつものまちの景色がとても奥深いものに感じられます。

撮  影  日  平成22年3月
撮 影 場 所  伝馬通2丁目/地図
投  稿  者  キノシタ

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2010年03月17日

矢作橋-岡崎宿伝馬歴史プロムナード


「岡崎城下二十七曲り」と呼ばれた岡崎の東海道(岡崎宿)、その一部に「岡崎宿伝馬歴史プロムナード」と呼ばれる区間があります。岡崎は戦災にあい、残念ながら町並みとしての宿場の雰囲気はありませんが、東海道の歴史を伝える石製品達が、その土地の持つ歴史と未来をつないでいます。

【現地案内文】
矢作橋は公儀普請の重要な橋であり、岡崎宿を行く旅人にとっても、まだ見ぬ岡崎を思い浮かべる人々にとっても街道一の規模を誇るこの橋の勇壮さは関心の高いものであった。広重の東海道五十三次「岡崎」にも描かれ、東海道を行く当時の紀行文や道中日記には必ずといっていいほど矢作橋が登場する。ドイツ人ケンペルは「江戸参府紀行」で、スウェーデン人ウィルマンは「日本旅行記」の中で矢作橋の大きさを記述し、岡崎宿を訪れた朝鮮通信使の日記にも登場するなど外国人にとっても印象深いものであった。

「矢作橋」は幕府の直轄で、江戸と京都、大阪を結ぶ軍事上も非常に重要な橋であった。当時は軍事上の理由から橋をかけないことが多かったが、「矢作橋」は特別であった。江戸時代、「岡崎」といえば「神君家康公の生誕の地 岡崎城」、「町並みの長さでにぎわう岡崎宿」、「街道一の規模を誇る矢作橋」の景観はさぞや勇壮であったことでしょうね。

遠い外国の地まで、「岡崎」の「矢作橋」が名をはせた、と聞くと何やら誇らしげな気分になりますね。

架替工事中の矢作橋

撮  影  日  平成22年3月
撮 影 場 所  伝馬通2丁目/地図
投  稿  者  キノシタ

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2010年02月17日

架替工事中の矢作橋


矢作橋東交差点側より


矢作橋歩道より


矢作橋歩道より


歌川広重 東海道五十三次之内岡崎(保永堂版)
【資料提供 岡崎市】


矢作橋はご存知のように老朽化の為、架け替え工事中です。国土交通省によりますと、現在の橋は1951年(昭和26年)に開通した橋で新しい矢作橋は、現在と同じ片側2車線で車道の幅が3.25mから3.50mに歩道の幅が1.75mから3.00mになるそうで歩行者と自転車にもとても快適な橋になりそうですね。なお現在、橋台2台、橋脚4脚が完成しており写真の通り、橋の上部の工事を行っています。

14日の「岡崎市景観まちづくりシンポジウム」では「みんなで創り出す自然・歴史・くらしをつなぐ美しく風格あるまち」にする為にセーラさんが何回も何回も岡崎市長と関係者に安藤広重の描く東海道五十三次岡崎の絵のような矢作橋を架けてはいかがと提案されており、皆さん困っておりました。(笑)

矢作橋紹介は都市計画課さんの7/15、16にもあります。

撮  影  日  平成22年2月14日
撮 影 場 所  八帖町/地図
投  稿  者  シモン

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2009年07月17日

景観を読み解く012




滝山寺の仁王門そばの「仁王橋」。現在右にある橋のすぐ横の茂みのなかに先代の親柱を見つけることができます。

昔はこちらが街道筋であったことが理解できます。地図で確認すると橋の前後の取り付きが先代の親柱の位置とつながるのを確認できます。現在、矢作橋も同様に架け替えに当たって、現在より南方へ新橋が移ります。これは、現道の交通を維持しながら新橋を建設するためにその都度、橋の位置が上流へ…下流へ…と移るのです。

ふだんの何気ない景色も意味があって今の景色が成立しています。
茂みに隠れた親柱が伝える景色をイメージし、現在と比較することで今、目の前の景色が今までとは違って見えてくるでしょう。

撮 影 日  平成21年6月
撮影 場所  滝町/地図
投 稿 者  キノシタ

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Posted by 岡崎市まちづくりデザイン課 at 08:30Comments(0)景観学習

2009年07月16日

矢作橋②


現在、矢作橋の架け替え工事が行われています。
矢作橋は、慶長6年(1601)に土橋として架けられました。
川への架橋がむやみにできなかった江戸時代では日本最長の大橋(日本一)であり、来日していた外国人のシーボルトは、そのヒノキとケヤキの秀麗な橋を賞賛し、母国まで報告していたと言われます。現在は国道1号の橋として、昔も今も変わらず、日本の大動脈として活躍し、新橋建設の進捗も進み、現在、写真にあるように橋脚がダブルの景色が望めます。

撮 影 日  平成21年6月
撮影 場所  矢作町/地図
投 稿 者  都市計画課

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2009年07月15日

矢作橋①






矢作神社の境内には、明治、大正の矢作橋の「親柱」が現存しています。
そして現在の親柱、現在架け替え中の矢作橋の新しい親柱…

「明治」、「大正」、「昭和」、「平成」…と
橋の架け替えの記憶をつないでいます。

矢作橋は架け替えの都度、南へ…北へ…と
その位置を少しづつ変えています。

新しい矢作橋は現在の橋の南側に建設中です。

撮 影 日  平成21年6月
撮影 場所  矢作町/地図
投 稿 者  都市計画課

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2009年07月13日

矢作神社






現在、矢作橋の橋梁の架け替えの工事が行われていますが、矢作神社は幾度も幾度も橋の架け替えを見守ってきたことでしょう。

伝説では、「東征の折通りかかった、日本武尊(やまとたける)に住民が、この地に住む賊に苦しめられていることを訴えた。日本武尊に命ぜられた矢作部(やはぎべ)たちは矢を作ろうとするが、竹の生えている川の中州まで行けない。突然一匹の蝶が人の姿となり竹を切り取ってきてくれた。矢作部たちは1万本の矢を作り、武尊は神社に祈って賊を滅ぼした。それ以来、神社は矢作神社と呼ばれた」とされます。ほかに、新田義貞(にったよしさだ)ゆかりの「うなり石」があります。【岡崎観光文化百選】

矢作神社は日本武尊伝説を残す古社で矢作橋や土場が近くにあったことから水運業者などの絵馬の奉納が多い。

●矢作橋杭打図(延宝2年(1674)奉納)
図中、矢作橋では杭を打ち込み、2隻の船上では儀式が行われている。江戸時代2度目の架換えの無事完成を祈願したもので、裏に「天和2年(1682)正徳2年(1714)」と墨書きされているのは後の改造工事安全祈願であろう。
●矢作橋設計図(延享3年(1746)奉納)
延享2~3年(1755~6)矢作橋4度目の架換えが行われた時の設計図額である。(岡崎城出展中)

有形民族文化財 祭礼山車1台 矢作町二区
この山車は、江戸時代末期の作品である。正面屋根は上げ下げが自由に出来るようになっている。牛若丸と天狗の彫刻をはじめとして、彫刻はすべて金箔、極彩色が施してあり、豪華な幕類とあいまって華麗荘厳、見事な作である。
矢作町には過去4台の山車があったが、現在この東中の切と西中の切の2台が保存されている。
山車の高さ 山を上げた時 7.09メートル 山を下げた時 6.00メートル
【岡崎市指定文化財】昭和48年3月23日指定

撮 影 日  平成21年6月
撮影 場所  矢作町/地図
投 稿 者  都市計画課

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2009年07月07日

マンホールのふた


「岡崎城と矢作橋」
現在、全市で使われているものは「やはぎはし」。
このほか、矢作地区で過去に使われていた「やはぎばし」があります・

安藤広重画による浮世絵「東海道五十三次 岡崎」で有名な徳川家康公生誕の地「岡崎城」と江戸時代日本一の長大橋として、橋の長さ二百八間(約378メートル)を誇った「矢作橋」をデザインしたものです。

矢作橋は、日吉丸(豊臣秀吉の幼名)と蜂須賀小六の出会いの橋として知られています。

撮 影 日  平成21年5月
撮影 場所  北野町/地図
投 稿 者  都市計画課

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2009年03月23日

矢作橋


現在、矢作橋は架替工事中ですが、従前の矢作橋の風景です。矢作橋はその歴史性からして日本を代表する橋のひとつです。矢作川を渡る東海道として、慶長6年(1601)に土橋として架けられ、その後何度も大水に流されましたが、その都度、改修を繰り返してきました。江戸時代には日本最長の大橋であり、来日していた外国人のシーボルトは、そのヒノキとケヤキの秀麗な橋を賞賛し、母国まで報告していたと言われます。現在は国道1号の橋として、昔も今も変わらず、日本の大動脈として活躍しています。

撮 影 日  不明
撮影 場所  八帖北町/地図
投 稿 者  キノシタ

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2009年01月27日

岡崎城下二十七曲り⑦


かつて東海道有数の宿場町であった岡崎宿の語りべとして、伝馬通りの両脇に20基のかわいい石彫たちが並んでいます。ひとつひとつの石彫には説明があり、往時の岡崎宿伝馬の様子を知ることができます。(石彫一覧:本陣・脇本陣、駒牽朱印、二十七曲、矢作橋、あわ雪茶屋、作法触れ、往来手形、一里塚、市隠亭、旅籠屋、、お茶壺道中、朝鮮通信使、助郷、飯盛女、田中吉政、人馬継立、三度飛脚、塩座、御馳走屋敷、籠田総門)

撮 影 日  不明
撮影 場所  岡崎宿伝馬歴史プロムナード(伝馬町)/地図
投 稿 者  都市計画課

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2009年01月14日

岡崎城下二十七曲り③


二十七曲りは、欠町、両町、伝馬通から籠田町を抜け、連尺通、材木町、田町、板屋町、八帖町、矢作橋とつながっており、現在のまちなかに、二十七曲りを示す碑を見つけることができます。(二十七曲りのルートについては諸説あります。)

撮 影 日  不明
撮影 場所  石碑のひとつ(両町)/地図
投 稿 者  都市計画課


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